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アニメ『メイドインアビス』感想文

なんかツイッターのタイムラインでおもしれえおもしれえって譫言のように言ってる人を数名見かけててへぇと思っていたらAmazonプライムビデオで見れちゃうらしいことがわかったので三連休でサクッと全話見ました。Amazonプライムは年会費たかだか4000円せいぜいで色々な商品を素早く届けてくれるし、映画もアニメもドラマも音楽もタダで配信してくれるし、すごすぎるんですけど本当に大丈夫なんでしょうか? 笑ゥせぇるすまん的なオチが待っているんじゃないかと夜布団に入ってから考え始めるとものすごく怖い気持ちになるのでみなさんも是非お試しください。

それで『メイドインアビス』を見たよーって話なんですけど、まぁ普通に面白かって、ぶっちゃけリアルタイムで見ていても来週が気になって気になって毎週楽しみで仕方ないし次の放送までを生き延びる活力になるってほど楽しんでただろうかと考えるとそっこまでーって感じだったとは思いますがまぁ普通に面白かったです。生き延びる活力レベルになるとブログに感想書く際にも読んで欲しい対象としては完全に「見てない人」の方にベクトルが向いていて「見ろ、いいから見ろ。すごいから見ろ。見た結果の俺を見ろ。すごいだろ?見るしかないよな、見よう、見ろ見れ」のテンションでそれを目的に書いてるところがあるんですが、そしてすごい熱量だけどネタバレが実は全然ないっていうそういうパターンになることが多いんですけど、まぁそうでもない時はふつうに感想を書く感じなのでどっちかというと同じく作品見ている人が対象というか、まぁあとは普通にこのブログ普段から読んでる人は、まぁ今後見るかどうかの参考にして、くらいの感じで今回はどちらかというと後者になるのかなという気がします。また、見ていてむかついたのでおっとり刀で筆を取るってケースもありましてこの場合はというといやもういいだろ、感想早く書けよ。なんで感想を書く時のスタンスを前置きするだけで原稿用紙2枚分くらいが埋まってるんだよ。

それで『メイドインアビス』なんですけど、とりあえず1話見た時点で俺は「はい、最後まで見る」って決めましたよね。僕はキャラ萌えは全然なくて話の筋で物語を楽しむ方なんですが、さすがに関係性萌えみたいな「こういう二人が出て来る話はかなり好みだ」みたいなのはあるみたいで、あったらあったでめんどくさくてめっちゃ好きになるか「この関係性の人たちをこう動かすのは俺のなかでは全然納得がいかん」つってめちゃめちゃ嫌いになるかのどっちかなんですけど、そういう関係性萌えのなかでめちゃめちゃドンピシャど真ん中の大好物が「ポジティブだけど危なっかしい女の子を、力は持っているんだけど精神的に欠落を抱えていたり不安定だったりする男の子が精神的には救われながら守ろうとする」なんですよ。だからまぁドンピシャですよね。見まごうことなきドンピシャなんですけど。

なんかこう、『こどものおもちゃ』とかね『天使な小生意気』とかね、いや作品名あげたらいきなりさっき言ってた定義とはちょっと違わねーかって話になりそうなんで、あんま作品名を挙げて例示するのやめますけど、とりあえずなんかそういうボーイ・ミーツ・ガールから始まる冒険と依存と成長と喪失とその喪失を補完しようとする二人みたいな伝わんのかこれで?? なんかそういうのが好きなんですよ。そういう展開の物語を俺は"フレア"って呼んでません。

だからまぁ見ちゃいますよね。まぁフォローの人らのリアクションもうっすら見かけてたし、だいたいまぁかわいい絵面と見せかけて結構エグいんでしょってのは一話の時点でわかってたんで「はいはい、どうぞ好きにエグみを出してくださいね」って思いながら見ていったらまぁ案の定エグくて、別に「エグくておすすめ」とかじゃなくてやっぱ普通にエグめの話だったなーと思いながら見てたんですけど、とりあえず俺がこれを見続けるか途中で切り上げるかの基準は主人公の二人の関係性が俺の好きなやつのまま維持するか「あっ、そっちいっちゃうならそんな興味ねえな」の方にいくかの一点だったんですけど、それで言うと一期はまぁそのまますんなりいけました。ただ、これ、人によっては女の子の性格が結構むかつくので男の子が健気なだけに余計むかついてこの女の子が嫌で離脱する人いるんじゃねえかなとかは思ってて、まだ他の人の感想とか読んでないんでわかんないんですけど、そういう人いないのかな?たぶん「アビスに冒険者はどうしても否が応でも惹かれてしまう」みたいな物語世界観を彼女が強く担っている関係もあるんでしょうけど、男の子の方は色々考えながらやってるのにちょっと黙っててくれへんかな?みたいに感じるところはまぁ無くは無いなと思って。逆に「そういうキャラが好き」って人もいるのかなーとは思いますけど、僕としてはもうちょっと繊細でもええんちゃうか思うところもあって、母親の設定とか出自とかが明らかになればなるほど、男の子をいい感じに動かして心の変化もさせて成長させるためと世界を貫くストーリーを回すために用意された記号っぽく見えちゃって、あの女の子に感情移入して見る人もおらんことないんかなーとは思いつつ、俺主観ではちょっと物語装置っぽいなーと感じて物足りない部分はある。

まぁ、でも男の子の方の心の機微がいい感じなので僕的に些細な問題です!!

これは僕にもそういうキモいところがありますというだけの話にほかならないんですが、自分が救われてて依存してるからすごく一生懸命に女の子を守ろうとする話って本当に良いですよねー。あ、あとアビスの淵の浅いところに差し込んでる太陽の光の美しさが『ワンダと巨像』なんかも思い出しましたねー。あれも女の子のために男の子が頑張る話でしたねー。基本的にそういう話は好きですね。守れなくて無力感を感じるけどそれでも守りたいから頑張るとかねー、そういうの好きなので、守りたい対象が俺にとって可愛げがあろうがなかろうが、彼が守りたいと思うのがしっかり伝わればそれで僕はOKです。

で、本当に前情報なかったんで「できることならこれ一期でしっかり完結するやつであってくれ。あるかないかわからない二期を待つのダルいから」と思いながら中盤見守ってたんですけど10話くらいで「ああ、これ全然終わんないじゃん」と諦めました。ほんでこっちが諦めたのをいいことに「一期では終わらないってわかってもらえたならじゃあ」って感じでがっつり描きやがりましたね、あの獣っぽい女の子のパート。あれだけがっつり描ききってパーティーが3人になったところで、はいここでとりあえずおしまいってのはもう本当に「二期早よ」としか言い様がないですね。

しかし原作読んでる人はもう知ってる話なのかもしれませんが、二期は大丈夫なんですかね。女の子がうるさいしむかつく件。ミニー現象って名前は今僕が作ったんですけど、みんなのみんなのミッキーマウスがあんなにベタ惚れしているのだからもうそれは受け入れるしかないけど、ミニーマウスって本当にそんなにいい女なのか?みたいなのってちょっとあるじゃないですか。それに近い感じで、あの健気な男の子はみんな頑張れ頑張れってなってしまうと思うんですけど、それに対して彼が守りたいこのうるさい能天気な女どうなんだっていう『メイドインアビス』もミッキー・ミニーに近い構図があると思うんですけど、二人で頑張ってた一期はそれで良かったんですよ。でも二期はこの獣の女の子もいますよね。そして、あの幼馴染のために一人であの環境で闘い続けた彼女はどちらかというと女の子を守ろうとするあの男の子と近い境遇にあるわけですよね。そして彼女の闘いに終止符を打ってくれたのもその男の子で、悲しい終止符に寄り添ってくれたのも男の子で、パーティーに加わるのもそんな男の子への感謝の気持ちがあればこそじゃないですか。なんなら幼馴染も無事に喪って異形の自分だけが残って生きる目的も無くなってってところで、新しい生きる目的もう少し生きてみようかなと思える理由があの男の子なわけじゃないですか。これでもし獣の子がね、あの男の子に本格的に好意を抱くようになった時、さすがにマジであのメガネの女の子にむかついてくるんちゃうかっていう心配がありますよね。だってあの獣の子の方がみんなかわいいし応援したくなるでしょ。みんな獣の子を応援するのにロボの男の子が一番に大事にするのは絶対メガネの女の子じゃないですか。その時、メガネの女の子のヘイトがめちゃめちゃ溜まるんじゃないのかってのが心配なんですよね。

獣の子は、ロボの子がメガネ好きで一番大事なのは知ってるから、自分の気持ちは置いておいて、冒険のために頑張る。ロボの子もそれに素直に甘えてしまって、獣の子を頼る。信頼する。大事な仲間だとも思ってくれる。しかしその感情はどうしたってメガネの子に向けられるそれとは違う。っていう、めちゃめちゃ仕方ないけど切ない展開になった時、メガネの子が一期同様引き続き能天気で設定だけはてんこ盛りだから要所要所で自分の運命に落ち込んだりしおらしくしたりして、ロボはそれをしっかり支えてお姫様扱い。ってなった時に、いい加減今まではメガネ単体にむかついてた人たちが「もうそんなわがまま女いいだろ!獣の子も大事にしてやれよ!」ってロボの方にもむかつき始めてしまうと作品全体がものすごく見にくくなるじゃないですか。とりあえずそれが一番今は心配ですね。

なんやったらこの作品の方向性でいうと、メガネとロボの二人を生かすために獣の子が命を落とす可能性まであるわけじゃないですか。その時になってメガネ泣いたっててめえ今更白々しいんだよ!!今まで好き勝手やって迷惑かけてきた癖に最後だけ謝って獣の子のために涙流したからってチャラになると思うなよ!!ロボもてめえ、今までさんざ犬みたいにメガネのことばっか気にかけやがって獣の子はそんな辛いなかずっと頑張ってくれて最後はこんなことになっちまって一番残酷なのはお前だよ!!みたいな感じになってる可能性あるよな、と思って。そういう別れが最終的にあったとしても、そこまでにちゃんと納得できる感じに三人のそれぞれの関係が構築されているかどうかが勝負かなーと思っています。とりあえずメガネの子をどう今からマシなキャラにするか、でしょうか。

とりあえずそんな感じで、昭和元禄落語心中の時も原作読まずに二期を待ち果せることができたので今回もそんな感じでいこうかなと思います。惡の華はこれ絶対に二期ないな、と思って早々に原作読みました。あと感想書き終わって気づいたんですけど、あの三人の関係性が今後どうなるかが楽しみなだけでアビスとは結局いったいなんなのか?ロボの正体は?とかそこらへん俺まじで興味ないんだな。以上です。

#架空の地上波カットシーン選手権

http://zuisho.hatenadiary.jp/entry/2018/01/08/224129

君の名は。』見て、昨日感想書いてたんですけど、感想書いたらそら今度は他の人の感想も読みたくなりまさぁな。それで見てたら面白いの見つけまして。

http://junk-weed.hatenablog.com/entry/2018/01/03/235839

もともと映画館上映バージョンにも存在しないシーンを「地上波だとカットされてた!」と主張してる人が少なからずいるらしいんですね。該当のシーンは自分のなかでも何かカットされてるのか、結局どうなったまま現代に舞台を戻す演出なのかどっちかなーって思ってはいたのだが、結論としては後者が正解なんだけど、前者だ!と言い張る人がいるらしい。
そういえば自分も最近似た現象の当事者になったことがあって、シン・ゴジラやってたじゃないですか、あれはぼく映画館で一回見てたんですけど。あれで、総辞職ビーム急だなって思ったんですよ。CM明けいきなり総辞職ビーム始まるんですけど、もうちょっとその前に米軍の攻撃シーンに尺割いてなかったっけ?カットかな?って思ったんですけど、これも調べたらそんなことないらしいですね。いやー脳って本当に不思議ですね。

 

というわけで、 #架空の地上波カットシーン選手権 を開催します。

 

ターミネーター2でシュワちゃんハンバーガーを食べさせようとするも拒否されるシーンが地上波ではカットされている
天空の城ラピュタのわりと序盤の鳩たちが追手の邪魔をしてくれるシーンがカットされている
ホームアローン2のマコーレー・カルキンが鳩おばさんが鳩を頭から食べるところを妄想するシーンがない
アルマゲドンブルース・ウィリスとAJが瓶ビールで乾杯するシーンがどっかであったはずなのにない
おおかみこどもの雨と雪の、雪が山遊びから帰ってくるたびに靴を失くしてくるシーンがない
釣りバカ日誌16のハマちゃんが女装で切り抜けようとするシーンがない
カリオストロの城にもルパンが身代わりの術みたいに一瞬でパンツ一丁になるシーンが絶対あったはずなのにない
・タキシードのジャッキー・チェンが敵の口にハーモニカを突っ込んで音が鳴るシーンがない
アウトレイジ椎名桔平の生首はさすがにカット
少林サッカースカイラブハリケーンオマージュのシーンがない
・スピードのバスがジャンプするシーンはいろんな角度から何度も繰り返しスローモーションで流れるけど真下から撮ったシーンがない
ジュマンジロビン・ウィリアムズがトイレで用を足してたらテッポウウオがウォッシュレットしてくれるシーンがない
GANTZで全裸の夏菜の局部が二宮和也の後頭部で見れないシーンがない
・ポニョのトンネルに入る前に宗介がポニョの顔を見ながら頬をぎゅーっとつまむシーンがない
マトリックスで黒人がサングラスをキアヌに渡す際に「目を見せると心理を読まれる」みたいなことを言うシーンがない
・初代スパイダーマンのピーターががたいの良いクラスメイトになぜか無駄にロッカーに壁ドンされるシーンがない
プリティ・ウーマンジュリア・ロバーツがジャグジーに入ってるシーンで鼻に泡が乗ってたはずなのにない
・宮迫の「妖怪大戦争やーーー!」は二回あったはずなのに一回しかない
シュレック3で藤原紀香藤原紀香感溢れる関西弁がちょっと出てしまってるシーンがどっかにあったはずだけどない
・ALWAYS三丁目の夕日堤真一が炊飯器を抱えて走るシーンがない

 

以上、第一回 #架空の地上波カットシーン選手権 でした。

こんなに眩しい東京初めて見た。『君の名は。』感想文

♪ I have a 前前~~~~~~~ I have a  前世~~~~ Ah!  前前前世!!

どうも~~~~~~、野田洋次郎で~~~~~~~~~~~~す!!!!!

あの、あともう一つ出だしの候補として前前前政権ってのがあったんですけど、数えたら前前前政権は菅内閣だったんで、それはちょっと危ねえなと思って。あんま軽い気持ちでいじっちゃいけないやつが菅内閣の時代にあったから、急遽登場しました、ヒョウ柄の、野田洋次郎で~~~~~~~~~~~す!!!!!トゥース!!!!

そういうわけで今日も野田と若林、二人で楽しく漫才やっていこうと思うんですけどね。杏の旦那役って思ってる人と弟だと思ってる人の比率知りたいな思ってるんですけど、これ伏線でも何でもなく、ただ思いついたこと書いてるだけだから戻りますけども。

いや、そういうわけで見ましたよ、地上波初登場、『君の名は。』!!

このブログもね、なんやかんや四年とか五年とかやって定期的に多くの人に読まれる文章が書けて怒られたり共感されたりしてますけど、何を隠そう初めてのホットエントリーは『君の名は。』と同じく新海誠監督の『秒速5センチメートル』が超つまんねえ、超気持ち悪りっ、って書いた文章で、すげえたくさんの人に怒られてたんですけど、別にリンク貼ってもいいけどそれも露悪的すぎかなと思うので*1興味ある人はまぁググってって感じなんですけど、そういう経緯があった手前ね、俺自身としては「見て、感想書いて、気が済んでおしまい」が健全だと思うんですけど、初めての怒られバズだったもんでね、思い入れではないんですけど、やっぱ同じ新海誠監督が当てに当てた本作を見ておいてブログに書かずスルーするとズルいんじゃないかなみたいなのもあって、まぁ一応感想なんかは書きまさぁわな。だから、この文章はどっちかというと書いているというより書かされているんでさぁな。

とりあえず、面白いか面白くないかでいうとめちゃめちゃ面白かったですよね。ケチをつけるところがほぼほぼなかった。特に家で映画を見てるとね、定期的に「今の再生時間」を見ちゃう悪い癖があるんですけど、そこのところから言ってもペース配分からして完璧だった。このペース配分の下りを踏まえての完璧っていうのは、ディズニーとかピクサーがそこらへんのペース配分が完璧なのと同様に完璧だった、ってことですね。正直なにせこんだけ売れてるもんですから「めっちゃおもろいやん」か「逆張りって思われるのダルいから売れんとってほしかった。全然おもんない」のどっちかになるかなと見る前から思ってたんですけど、結論から言うとめちゃめちゃ良く出来てて面白かった。

ただ、めちゃめちゃ面白かったんですけど、この映画がぶち立てた業績がすごすぎるので、そこを鑑みると「そこまで面白かったか?」と思う部分もないわけではなく、ちょっと悩ましいんですが、そこはよくよく考えると俺のなかで早々に結論が出ていて、この映画がなぜこんなに爆発したのかというと、自分の浅学を承知で言うに「こんなに美しい東京は見たことがなかった」ってことなのかなと思ったんですよね。

ここまでさんざ自分語りしておいて突然普通に作品のネタバレを始めますけど、三葉が初めて瀧くんの身体に入って一日を始めるシーンあったじゃないですか。あそこがめちゃめちゃ眩しかった。あんなに眩しい東京を、俺は初めて見たよ。

日本国民みんなテレビ見てますけど、テレビの舞台になるのって大体が東京じゃないですか。田舎者なら誰しもが憧れる、あの東京なんですよ。けど、そこに映されるのは東京に住んでる人らが撮った、東京に住んでる人らが案内する「当たり前の東京」で「憧れの眩しい東京」ではないんですよね。例えば東京をぶらぶら芸能人が歩くしょーもないロケ番組を地方の人間が見たとして、それを見て感じるのは「憧れの東京」ではなくって、「憧れの東京を日常として歩く東京人」だったりすると思うんです。それはそれで見てると「いいなー」と思うと思うんですけど、それとは別に、田舎者がすごく大事にしている「憧れのキラッキラしている、ピッカピカの東京」ってのが田舎者の胸の内にあるんじゃないなと僕は思うんですよ。そして、『君の名は。』にはそれがあった。完璧にあったよ。「東京の眩しさ」を嫌味なく最大限に描くためのシチュエーションとして、「東京の高校生の身体に入ってしまう田舎の女の子」というのは100点だったと思う。俺は、あんなに東京を眩しく思わせる映像を本当に見たことがなかった。なんか、結果として、日本のアニメ映画で一番売れたんでしょ?すごいよねそれ。日本で一番売れたってことは、東京の人口ってせいぜい日本の人口の一割と聞いているので、それ以外の9割の人たちがすげえたくさん見たんだなって思って、そういう全国のワーナー・マイカル・シネマズで東京に憧れを抱く人たちがこれを見たんだなって考えたら俺はすげえ納得がいったんですよ。この映画は売れるべくして売れたんだな、って。田舎(地元)と東京(憧れの場所)を、全く平等に美しく描いてくれる映像。って寡聞にしてあんま知らねえんだから、そう考えたらこれはそりゃあ国民的だなと見ていて思った。

いや、でも本当、そんくらいですね。他にもあざといというか、311以降に隕石を落とす時点でそれはもうあざといと言ったって怒られやしないと思うんですが、そういうあざとさは他にもいっぱいいっぱいありましたけど、それが悪いとも思わないし。そういう時代性も伴って本当に面白い仕上がりだった。これがどれくらい新海誠という人の思想を素直に反映してるのか、捻くれて写象してるのかはわからいけどね。だって、あのラストの下りね、あれはセルフパロディだと思うんですよ。「俺の作品は会いたくて会えないラストだって知ってるだろ?知ってるだろ?引っ張るよ、引っ張るよ」って意思も感じるものね。そう考えると、この監督がどれくらいマジで作って、どれくらい「これくらいが俺には求められてるんでしょ?」って作ってるのか全然わかんないんだよね。俺はがっつり後者であって欲しいなと思うタイプで、これで売れたのを足がかりにどんどん勘違いしてまたもっとちゃんとキモいもん作ってくれよって思うんですよね。

今回のだって本当にそうで、巷の評判を見ると「いつも最後出会えない新海誠作品でついに最後出会った」とか言われてますけど、「ここまで、隕石持ち出して半タイムリープ持ち出して、人格入れ替わり持ち出して、ここまでやらないとお前は『もう一度出会う運命』を認められないのかよ、みんな何の伏線もなく自カプくっつけてるのにお前は」と考えると、本当に新海誠って気持ち悪い人だなとも思うんです。出会える運命、出会える必然を突き詰めた結果、死ぬほど美しいロマンチックな物語にたどり着き、全国の運命や必然を死ぬほど手放しに信じるみんなに支持されてなんかものすごく偉くなってしまった新海誠監督まじで面白いし、俺の中ではこの『君の名は。』が、三谷幸喜でいう『有頂天ホテル』くらいのあたりで、そうなると俺は新海誠監督なりの『ギャラクシー街道』を期待してしまうわけで、

そんな感じでもう向こう数十年、新海誠の新作を死んだ魚の目に楽しみにするのでしょう、俺は。今回のはめっち面白かった~~~!!でもそれはお前のごくごく一面が奇跡的プリズムのちからもあっていい感じに映っただけで、本来のお前は、もっともっとアレな、アレなはずだろうがよ~~~、見たいんだよ頼むよ、早く次を見せてくれ。できることならやらかしてくれ。あるいは、「形式」になってくれ。どう転んでも俺は、喋りたいことが増えてハッピーハッピー。以上です。

*1:やっぱり今読むと書き方などに「もっとこう書いときゃよかったなー」みたいな反省もないこたないので開き直って「今でも悪いと思ってないですけどね」と言わんばかりにリンクを貼る気は起きない