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ドミノピザの配達員がイキってるみたいになってた

今日ドミノピザでピザを頼んだら13時ちょうどにピンポンが鳴って開けたら「ドミノピザの高橋です。30分で来ました」とドミノピザの高橋が開口一番言いましてただ俺11時の開店に合わせて電話で「13時にピザよろしく」って注文してるので30分で来ましたとか言われても知らんしむしろちょっと早めに出ろよ5分前行動を心がけろよという話でたぶんこれは急な注文ピザの到着が早ければ早いほど嬉しい注文のお客さんたぶんそれ一般的なデリバリーピザのお客さんだと思うんですけどそういうお客さん向けにイイ感じに見せようとした結果のドミノピザのマニュアルなんでしょうけどそれを一律すべてのお客さんに言おうって形にしちゃうと今回の俺みたいなスケジュールにゆとりを持って注文した客からすると俊敏さに自信ありニキの高橋くんが単にイキってるみたいになってしまってるので「30分で来ました」は「出来次第最短で持って来い」みたいなお客さん限定にした方が本当はいいんだろうなと思うけどそこを毎回今回は30分って言えよとかこのピザは30分とか言わなくていいぞとか確認し合うの絶対めんどくさいだろうから一律30分って客に伝えるようにしてるんだろうなと思うから仕方ないんだけど高橋くんすばやさアピールすごいみたいになっちゃってるから高橋くん脚速いのが自慢の小学生みたいになっちゃっててかわいかった。以上です。

名前から性別断定できない赤ちゃんの呼び方問題

夏に子孫が生まれたんですけど。あのー、息子なんですけど、ネットでなんて呼ぼうかな思って。例えばおもちちゃん、おもち君はココアという名前のミニチュアダックスくらいネットでたくさん見かけるじゃないですか。なんかそういうニックネームみたいなのあった方がええんやろなーと思いつつあんまピンと来るのが思いつかなくて、今のところ第一候補が「子孫」なんですけど。うちの子孫もそろそろ首が据わってきましてねーつって。これ非常にしっくり来てて、何より嘘がないよね。本当に子孫だからね。ちょっと確認するわ、家系図ホワイトボードに書いて確認するからちょっと待ってな、俺をのび太として嫁をしずかちゃんとした時に俺の息子はノビスケにあたるわけだから、やっぱ子孫で間違いないですね。だから俺が息子のことを「うちの子孫がね」って言うのは何の問題もないはずなんですけど、問題があるとしたら面白すぎてあんまり本題が頭に入ってこない可能性があるよね。
で、最近うちの子孫も外に連れ出してもいいかなくらいにはしっかりしてきて、意識とか。今まではほとんど酩酊状態でしたから。このまま子宮でのんびりやっていこうと思ったらある日いきなり頭掴まれてこの世界に引きずり出されたわけですから、そりゃあ世界酔いもしますよ、何この世界生きにくいおえっぷってなもんで、ずっと酩酊状態みたいなもんだったんですけど、最近はやっとこの世界でやっていく決心がついたのかしっかりしてきたんで外とかに連れ出す機会も増えてるんですけどね、そこで人に話しかけられるじゃないですか。
「あら、かわいいわねー、お名前は?」つってね。
ズイショさん、ババアにすげえ好かれるから、歩いてるとすげえババアに話しかけられるんですけど。で、名前言うんですけどね、うちの子孫、男の子につけても女の子につけてもしっくり来るようなそこそこ中性的な名前なんですね。カオル的なね。あと馬につけてもしっくり来る。カオルサクランボ的な名前なんですけど。大泉逸郎が『孫』で一発当てた金で馬買ったみたいな名前なんですね。いや、そこはお前、孫の学資保険とか積み立てろよ、何を馬なんか買ってるんだよって話なんですけど。そういえばこの前なんかのキッカケで大泉逸郎について調べてたんですけど、孫の女の子バージョン出してるのみなさん知ってました?出してるんですよ実は。で、これが、また二人目だか三人目だかのお孫さんが生まれて、待望の女の子の孫が生まれた結果作ったのか、過去の財産を絞り尽くす感じで残ってる需要を全部余すことなく掘ってやるって意味で別に女孫生まれてないのに作ったLifetime Respectアンサーソングパターンなのか、どっちなのかが気になって気になって大泉逸郎の情報を30分くらい漁ってても答えが見つからなかったんで誰か真実を知っている方いたら教えてください。
で、何の話でしたっけ、そう、うちの子孫が中性的な名前なんですけどね、たぶん一般的に見て、すげえ男顔だとは思うんですよね。顔は。親が息子について言ってることだからわかんないけどね、たぶんどっからどう見たってパッと見で男の子だろうって俺は思うんですけど、服も男の子っぽいの着せてると思うんですけどね、あ、なんとかですって名前を言うと「あらーなんとかちゃんかわいいねー」ってだいたいみんな言うんですよね。で、「あ、男の子なんです」って言って「あらごめんなさい、なんとかくんだねー」って流れがだいたい毎回で。嫁と子孫の二人で歩いてて話しかけられる時もそうらしくって、嫁は「案外女の子顔なのかな」とか言うんですけど、いやそんなわけないやろ、と。わかるやろ、と。「いや、他所のガキの性別なんて見た目でわかるか馬鹿」って意見もあると思うんですけど、一般論としては俺もそうだと思います。ただ「あら、かわいいねー」って話しかけてくる人たちってなってくると、だいたい育児マイスター気取りなニュアンスもセットで出してくるじゃないですか。育児に関してはこっちの方が先輩だから、くらいのニュアンスがダダ漏れしてるじゃないですか。その感じで来るなら、じゃあ当てに来いよって思うんですけどね。で、この現象なんだろうと思って色々考えたんですけど、たぶん「女の子を男の子と間違える」と「男の子を女の子と間違える」だったら後者の方が失礼ではないって判断が無意識下で働いてるんじゃないか、と思ったんですよね。まぁまぁ、それもわからんでもない。「いや、女の子です」ってムスッとする人ってなんとなくいうるな、とイメージがつく。逆に「いや、男の子です」ってムスッとする人ってそこまでいないだろうという気がするし、そこでムスッとされても「いや、お前が紛らわしい名前つけんなや!」って素直に思える気がするよね。いやでも顔も服も結構男の子ですけど!?とは思って、そこはまぁそりゃリスクはわかるよ、「いや、女の子ですけど」って気まずくなるリスクがあるのはわかるけど、勝負してこいよ!っていう。そこ置きにいかなくても大丈夫だろ、みたいな。あの、囚人のジレンマってあるじゃないですか。二人でなんか犯罪をやらかした囚人が、それぞれ別室で自白を迫られてて、二人とも自白せずにしらを切り通した場合は二人ともケツの穴に単3乾電池入れられるんだけど、片方が自白して片方がしらを切り通した場合は、自白した方は単4乾電池でしらを切り通した方が単1乾電池入れられる。二人とも自白した場合は単2乾電池なんですけど、この場合もっとも合理的なのは単3乾電池を受け入れることなんですよ。だってテレビのリモコンとかのやつでしょ?まぁまぁ、全然いけるっしょアレより太いうんこいくらでもしたことあるし、って話なんで、二人とも何も言わずじっとしているのが一番合理的なんですけど、だいたいの場合、人間はこの状況で単2乾電池をくわえ込むはめになるみたいな、いやー、だって単1ってあの懐中電灯とかの一番でかいやつでしょー、無理だってー、それが万が一ありえるとなると、うーん単2、めざまし時計とか動かしがちなやつ?まーそれならイケるかな。それなら、ゆっくりならなんとかなるかなー。万が一の単1を避けるためにも、俺単2チャレンジしてみようかなーみたいな発想にやっぱ人間なっちゃうんだねみたいなやつ、あるじゃないですか囚人のジレンマ。たぶん、アレに近い構造なのかなこれ、って思って。女の子を男の子と間違えて「うちの子って女の子らしくないですか?」って思われる大きな失礼の可能性を徹底的に避けた結果、たぶん見た感じも男だけど女ともとれる名前ならまぁたぶん正解は男の子だけど万が一女の子だった場合のこと考えるとちゃん付けで呼んだ方が、もしやっぱそのまんま男の子だったとしても「あんまりかわいいから間違えちゃった」とか言えばいいし、って判断で「あらなんとかちゃん」って置きに行くんだろうなーっていう。大きな失礼を避けるために、小さな失礼になる可能性が高い方の選択肢を取るみたいなのあるなー思って。これはこの話題に限らず、人間って本当いろんな瞬間でこういう判断してるよなー思って。あとは、だから今は赤ちゃんだからアレだけどいつまで続くかだよね、世の中の子どもに話しかけてくる人たちはどれくらい子供の年齢が大きくなってさすがに見りゃわかるやろレベルがどこまで上がったら「カオルです」と言われても「あら、カオルくん」って言うようになるのか。それがもう今から楽しみだよね。まぁでも単純にこれ考え過ぎで「カオル」が女よりの中性的な名前だからそうなだけで、「あらアキラくん」「いや女の子です」ってやりとりを繰り返してるアキラちゃんもいるのかなーとか思ったり。思ったところでやめときゃいいのに、ここで「よし、じゃあ今度話しかけられたら嘘でアキラですって言ってみよう」とか考え始めるのがズイショさんの人としてどうなの?ってところなんですけど、さすがにやらないけどね。子孫ももう名前わかってきてるから混乱するやろうし、やらないけどね。こういうやりたいけどたぶんあかんので我慢してやらないことがたくさん出てくるので子育ては大変だなって思いますね。うちの子孫、風呂が好きで全然泣かないんですけど、これ服着せたまんま風呂入れても泣かないのかな、とか思うじゃないですか。思うだけで実行するのを我慢するのが育児なんだなって思ってて。
まぁなんだ、結論ないんですけど、子孫が我々の生活にジョインしたところで、僕はなんかこんな感じで、すげーめんどくせー考えなくていいことまで考えて、いや別にこの話も怒ってるとかでもないから、失礼とも俺は思ってないからね。ただ、みんな間違えるなー、でもそんな間違えるかー?どういうメカニズムなんだろーってぼやぼやっと考えてるだけで、間違える人たちにどうこうってのはないんですけど、そういう、どうだっていいし何より今それどころじゃないから日常のなかで誰に話しても相手してもらえないような、ブログ以外どこでするんだよその話みたいなことを考えながら、そんなこと全然考えてないですよみたいな顔をしながら生きてます。生きてますね。以上です。

マクドナルドはマックかマクドか

じゃー、たぶんあんまり伝わらなあ話をしまーす。

言葉は、大事にしたいよね。

言葉を大事にするってなんだろうって考えた時に、ひとつの側面としてまず何よりどうしたって「伝わる」ってことが大事だなと思っていて。ネットの僕しか知らない人とあと家族と親戚は、むしろ真逆の「こいつ何言ってるかよくわかんねえな」的な印象しか僕に対してないかもしれないけど、それはもうプライベートだから、なんで俺がお前らがよくわかることを喋ってやらなくちゃならないの?と思ってる節があるからで、そこから逆算すると「伝わる」ように喋らなきゃって言うのは、僕のしごと観なのかもしれない。

僕は、伝わるように喋らなくちゃな、と、とてもいつもよく思っている。それは普段やってる仕事が決して利害が一致するとは限らない両者のあいだに立ってなんやうまいこと収めるような仕事をしているからなのかもしれない。

察しの良い方はもうわかりましたね、そう、私の職業は、アシカショーのアシカに食われるイワシです!!

みたいなことしか言わないのでネットでは誤解されがちなんですが、普段は、ちゃんと喋らなくちゃと思って生きているんですね。

言葉は伝わらなきゃ意味がない。

伝わらない言葉はどれだけその言葉で自己主張できた気になったとしても結局自己満足なんです。そういうことを、いつも考えている。

例えば、トレードオフという言葉があって、ニュアンスが細かいので便利ですけど、いかんせん知名度が低いですね。年代によっては知名度どかんと減りますね。じゃあ年配には恐る恐る使う。まぁ、それだけの話ではあるんですけど。全く同じ話をしている。相手の年齢が違うだけです。「ここはトレードオフですね」と言うべきところ、相手がおっちゃんでそこまで話した感じトレードオフって言って通じるか通じないか怪しい時、僕は迷わず「あちらを立てればこちらが立たず、みたいな感じですね」とか言うんですねトレードオフと言わずに。

例が陳腐ではありますけれど、そういうふうなことを心がけることがどれだけ役に立っているのかは実際わからないのですけど、僕のなかでここはちょっと譲れないというか。大事にしたいところではあるんですずっと。

伝わらなけりゃ意味がないし、伝えたくないことまで伝えたくはない。

例えば、話の腰が折られるのも嫌なわけです。僕が何か喋ってる時に「今のイントネーションおかしい、やっぱ君、普段はわかれへんけど北海道民なんやな」とか言われるのすげえ嫌だ。それは自分が実は北海道民なのが嫌なのじゃなくて「いや、今そんな話してへんやん」ってなるのがただただ嫌だ。変なイントネーションが出たのは自分の責任だけど、そんな今言いたいかね、とその話を振る人にも思う。と思ったところで、その他人を責めたってどうにもならないわけで、結局自分を変えるしかない。そういう風に自分は生きている。

つまりまー僕は、郷に入っては郷に従えというか、どう郷に従順したところでおまえはおまえでいたらいいだけだろ、くらいにしか思ってないんですけど。僕が擦りむいた膝小僧に貼ったのは絆創膏か、カットバンか、バンドエイドか、なんてことは、僕が決めることじゃないんですよ。相手がどれを正解と思っているかが何より大事で、それを先回りして適応することこそがコミュニケーションで、相手に通じない正解なんざ意味がないし、それを自分のステータスにしようなんざもってのほかだと思って生きてるわけです。

で、そんな調子で生きてるんですけど、たぶんなんか嫁と子供の話をしていたんですね。今はお母さんのおっぱいと粉ミルクしか飲まない、「生まれるの早すぎただろ」としか思えないクソ雑魚の三ヶ月の息子が家にいるんですけど、こいつもまーそのうちは飯とか食うんだなって話をしてる時に。

僕言ったんですよ。

「子供の頃はマックとかすごいおいしかったよねー」って。嫁に対して。

言った後にすごい、びっくりしちゃって。

ここは、関西、大阪、なのですよ。マクドナルドは、関東ではマック、関西ではマクドと呼ばれてるのですよ。

当然、自分は、会話を円滑に進めるべく、関西に移住してきてからは、「マクド」と呼ぶのが正解として、それを身体に染み込ませて生きてきてたわけです。僕はだって、僕はなんのこだわりもないので普段ここは人に合わせる。関西の「マクド」と呼ぶ人と一緒にいる時は「マクド」と言うし、関東の人といる時は「マック」と言う。どっちでもいいんだ、ただ自然であればそれでいい。それでも「マック」と言った時に関東の人と会った時に「あれ?関西なのにマックなんですか?」と言われることもないではない、まぁそういうイレギュラーもあるにはあるのだが、何よりここで大事なのは、俺は関西に住んでからとんと「マクド」と呼ぶことに徹していたということだ。

にも関わらず、思わず京都の出の嫁に言ってるのだ。

「子供の頃はマックとかすごいおいしかったよねー」って。

これすげー無意識だったのね。何の意識もない。じゃあ何の意識が残ったのかというと記憶なんだろうね。だって、おれはもともとマックと呼ぶ地域の人間なんだから。北海道。

普段はマクドと呼ぶのが当たり前の土地にいるからマクドと呼んでいる。ただ、それが「子供の頃」という記憶と共にマクドナルドのことを思った時にマックという言葉が口をついて出た。長々ダラダラ書いてきてなんと僕が今日みんなに教えたかった大ニュースってこれだけなんですよ。これだけなんですけど俺の中でなんかすげえ「うわっ」てなって。なんかわかんない気持ちになったんですよ。ちょっと、「寂しい」みたいな気持ちもあったかもしれない。なんでかはわからない。ああ、俺今はマクドって呼んでるけど昔はマックって呼んでたんだよなってことに、なんかすごい思えば遠くに来たもんだ的な。そういうものを感じてさ、なんか「すげー」って思ったんだけど、絶対伝わってないでしょこれ。「いや、好きにマックって呼べよ」みたいな話じゃなくてねこれ。あと伝わりやすさの話に戻るとアップルのマックとややこしいから全国的にマクドナルドはマクドと呼んだ方が効率的だと思う。以上です。