←ズイショ→

ズイショさんのブログはズイショさんの人生のズイショで更新されます!

そんなノートなら取らない方がマシ

掲題の通りなんですけど、陳腐な言い方をすれば、僕のツボ。見たら絶対笑ってまうもの、それがそんなノートなら取らないほうがマシだろ、としか言い様がないノート。

なんかこの前ね、嫁と保育園見学行ったんですよ、0歳の息子連れて3人で。ほんで行ったら他にも3組くらいの親子がおって、土曜なのもあっていずれも父母揃ってて、「時代だな」ってちょっと思う。両親でくるんだー、って。まぁ俺もそうなんだけど。10年前はこんな保育園見学なんて女が行っとけみたいなものだったのかもしれないけど今は違うんだな、いや俺10年前親やってなかったから知らんけどね、実際。でもなんか、やっぱ育児は夫婦でやるもんなんだよみたいなここ10年の空気ってやっぱちゃんと浸透してるところにはしてるんだー、とか思ってたんだけど、よく見ると一組だけなんか違うな、と思って見たら。赤ちゃん抱っこせなあかんのですけど、他のところはみんなお父さんが子供を抱っこひもで面倒見てるのに対し、一組だけお母さんが子供抱いてるところがあって、それでちょっと「あ、お母さんが抱くんだ」とは思ったんだけどまぁいいやと思って見学したのね。で、一通り終わって、じゃあ最後に何か質問ありませんか?ってなって、そこで俺の横にいた、1人だけ子供抱いてないお父さんが「はい」って手ぇ挙げて「課外授業はどんな種類がどれだけあるんですか?」って質問したんですね。なんか課外授業ってのがあるんですよ、保育園によっては。それの種類と数が気になったんですって、そのお父さん。それで保母さんが「英語と、ピアノと、水泳です」って言って。そしたらそのお父さん、「あ、ありがとうございます」って言ってなんかカバンごそごそしたと思ったら一冊のノートを取り出してそれを開いたんですよ。で、僕、すぐ横にいたんでね、ちらって目に入ってしまったんですけどね、横書きのノートなんで表紙を右から左に開いて、左側は表紙の裏で厚紙なってるんで実質右側が最初のページ、1ページ目ですよね。で、その次の一番最初の左側も右側も書けるページ、2,3ページ目、彼が開いたのがこのページだったんですけど、左側のページの裏側、つまり1ページ目は10行くらいなんか書いてるのが見える。で、表側、2ページ目は一番上の1行目に「授乳左右10分づつ2セット」って書いてるだけなんですよ。で、そのお父さん、その隣の右側の白紙の3ページ目の一行目に「英語、ピアノ、水泳」って書いたんですよ。

「あ、お前たぶん、ダメな奴だろ」思って。笑いそうなったの堪えて鼻水出そうなったんですけど。お前たぶんダメだろ思っておかしくてしゃあなくて。お前ちゃんとやってたらそんなノートならんやろ、て。2ページ目に「授乳左右10分づつ2セット」一行だけなのももうだいぶあかんねん、ダイイングメッセージか。嫁さんが背負ってる子供見たらそこそこ大っきなってるし、それなりの期間をお前は経てるはずで、ノートを取るスタンスでちゃんとやってたらそんなことにはなってないはずやねんて。いや、ノート取りゃいいってもんじゃないし、ノート取らずにちゃんとやってる人なんざなんぼでもいるよ。でもこいつ、ノート開いて書いてるねんて「英語、ピアノ、水泳」って。何日に行ったどこの保育園の有料のなんぼ別途費用発生する課外授業であるかは書かずに「英語、ピアノ、水泳」の3単語だけ書いてんねん。お前たぶんダメなやつだろ思ってめちゃめちゃ面白くなってしまって。

いや、僕はね、別にあるべき父親像みたいなのがあってそれを他人にも押し付けたい、そういう父親像にあたらない父親を未熟だと言いたいとかそういうのじゃないんですよ。ただ、質問してノートを取ることで自分は熱心であるとアピールしようとしている人がいて、そのノートがそいつ全然熱心じゃないことを証明していたっていうあるあるを久々に見かけて、笑ってしまって、まぁあるあるなんですよ。俺は質問しますよ、そしてその答えはちゃんと書いて残しますよ、俺はけっこうしっかりしてるやり手ですよっていうハッタリ、けど本当に情報を書いて残して活用する奴のノートはそんなことにはなってないよ、みたいなのマジで笑うんですけど。それを見てからたまに思い出し笑いで笑ってるんですけど。だからなんだろう、この話はなんなのかというと一言でいうなら「気をつけよう」という教訓なのかな。「大して興味が持ててないのにペロッとノートにチャチャッとメモして熱心なふりをしても馬鹿っぽいだけなので気をつけよう」という教訓なのかな、それはまぁ一つあるけども。ほんと、そのお父さんが嫌な奴だとは思わないんですよ全然、「お前さてはダメだろ」は思うけどね、ダメなりにやろうとしてる愛おしさもあればそれもまた笑える面白さでもあり、だって「そんなの俺には関係ない」って保育園見学一緒に行かないでどっかに遊びに行っちゃう人だって世の中にはたくさんいるんだろうから、そんなのと比べたら全然良い奴なのは間違いないわけで、ただどうしたって「そんなノートなら取らない方がマシだろ」ってことは世の中あるんだね。仕事の席でもたまにそういう人見かけたけど、保育園に行ってもやっぱいるんだなっていう。最高。みんな、ベストを目指そうと思って必死に生きてて全然ベストには足りないのは当たり前で、そんななかでたまにすごい馬鹿なことをやっちゃって、それで笑ったり笑われたり、本当に最高だと思う。ほんでそれが結局ベストにほかならないんだしね。ベストを馬鹿馬鹿しくも笑いながらも称え合いたい。いい加減仲良くなってきた部下なら注意するけどね、あんなノート他人に覗かれても馬鹿だと思われるだけだから取らない方がマシだぞって言うけどね。でも別に憎くはなくて、笑えて最高で愛おしい。以上です。

永遠に終わらない大きなカブ

今さっき頑なに寝ない生後2ヶ月とかの息子が俺に聞かされた俺の童話『永遠に終わらない大きなカブ』が今後息子のお守りをするたびに永遠に続きそうなのでその冒頭をお裾分けします。

昔々あるところにおじいさんとおばあさんのかたわらにそれはそれは大きなカブと誰の目にも人目でわかるカブを所有するそんなおじいさんとおばあさんはそれはそれは仲良く暮らしておりましたところうんとこしょどっこいしょそうすればカブは抜けると言ってはばからない大きな大きなカブに関する有識者がそれはそれはおじいさんの家におしかけうんとこしょどっこいしょと言ってカブを抜くべきだとそれはそれはたいそう主張するのを聞いたおじいさんは、それからというものうんとこしょどっこいしょと言うにあたいするそのカブをそれはそれは大事に育て大きな大きなカブはうんとこしょどっこいしょといくらおじいさんとおばあさんがそれでもカブは抜けませんと言った形となりよりいっそう大きく主役格のカブとなる姿をおじいさんはとてもとても嬉しそうにながめネズミの入り込む余地が生まれるのはまだ先のお話であるにも関わらず、有識者たちはそれはそれは大きな声でうんとこしょどっこいしょと言うに留まらずより現実的な未来志向の方法で大きな大きなそのカブをそれはそれは鮮やかに抜いてやろうと画策しているのを知ったおじいさんとおばあさんは有志を募り抜こうという意思を見せようとしてうんとこしょどっこいしょの会と呼ぶことにしました。それからというものおじいさんとおばあさんはカブのことをそれはそれは大きなカブと呼ぶと呼ぶようになりそう呼んでみるとなかなかほんとうに大きなカブだと思えてきて試合の前日に相手のビデオを見ると怖くなる中学生バスケッターのようにはならないのがそれはそれは立派なおじいさんである証明であるかのようにおじいさんはうんとこしょどっこいしょと明くる朝うんとこしょどっこいしょとカブを抜こうとしたもののそれでもカブは抜けませんと言ったおばあさん、そんなおばあさんを見たおじいさん、どちらもそれはそれは誇らしげな顔をしていたということをほかならぬカブも感じたがゆえカブはびくともしませんでしたがそれを見た有識者

今日はここらへんまででした。この後、永遠に続きますし、冒頭も語るたびに可変します。以上です。