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『カリギュラ「オレオレ詐欺選手権」』が笑って泣けて最高に面白い

いいですか皆さん、「面白い」とは何か。まぁ人それぞれでいいんですけど、僕はこの問いに対してざっくりかつカッチリとしてそれでいてビビッドなひとつの回答を用意しています。

それは「たくさん入ってて、入ってるその全部が本物」であるということです。

インド演劇なんかでもよく言いまさあな、全部入ってなあかん言うてね。ラブがあってコメディがあって人情モノでかつサスペンスで敵がいて敵を倒すべき復讐の動機があって、平たく言えばあれもそういうことなのかなと思うんですけど僕のイメージはちょっと違うくて、インドの人らのこの掟はラブのシーンがあってコメディのシーンもあってアクションのシーンもあってとかそういうことだと思うんですけど僕がどうしようもなく「面白れー、最高だー」と思うのはそういう色んな要素が一瞬に同時にいっぺんに入ってるのを見た時です。ひとつのシーンに色んな要素が全部入ってて、そしてその全てがただ要素を増やすためにねじ込まれたんじゃなしに全部本物って瞬間、そういうのに俺はどうしようもなくグッとくる。

みなさん生きててご存知でしょう。この世界ってやつは、人間ってやつは、相反するようで表裏一体のさまざまなエモーションと共に一瞬一秒を駆け抜けてさらば気づけば老いて死ぬだけ高潔はときに愚直で、誠実は一歩間違えば狂気で、哀愁は少し角度を変えれば滑稽で、愛情は刹那の先には憎悪になるかもしれず、笑顔は諦めを意味するかもしれない。様々なエモを携えて生きるエルモだよ。人間だよ。全員狂っている前提では世の中回らないので、誰も狂ってないていで誰もがマトモを演じて生きる社会とエルモだよ。でもやっぱ俺は時々思うんだ、俺たちがこの複雑怪奇な社会の片隅であるいは真ん中で、こんなにもたくさんの感情を同時に抱きしめて生きてるだなんてまるっきり狂気なんじゃないかと俺は時々思うんだ。そのことをまざまざと見せつけてくれる瞬間、数多の感情が同時に沸き起こるコンテンツに触れたその瞬間、俺はどうしようもなく「面白れー」と思ってなんだか何もかもが愛おしい気持ちになったりするもんだ。

でね、それでいうと最近見たなかでね、そういう俺の琴線にバキバキにベタベタと爪痕と手垢を残していったのがカリギュラの「オレオレ詐欺選手権」です。Amazonプライムビデオに加入しているのなら誰でも見れます。今すぐ見れます。見ろ。加入者は全員見ろ。すごいんだってホント。

概要としては至極シンプルでね、実際のオレオレ詐欺の対策研究をしている専門家監修のガチオレオレ詐欺セオリーに則って芸人の実の母親にオレオレ詐欺ドッキリを仕掛けようって内容なんですけど。いや、これだけ聞いて「何も知らないいたいけなババアをいじめて笑いものにして相変わらずテレビバラエティっていうのは低俗極まりねえな」って思う人もいるとは思いますよ。これについてはもう何も反論できないからね。それを言われたら俺だってぐうの音も出ない。ただ、面白いんだよー。うん、最低だ、最低だけど面白いっていう、『駈込み訴え』のユダがあいつは酷いやつだと愛してるを繰り返す感じにならざるをえないよね。でもなんつーのかな、掃き溜めに鶴でもないんだよね。鶴は掃き溜めにいなくたって美しい鶴は鶴だから。ただ掃き溜めでしか見られないような、なんかオリーブオイルまみれの鶴。「お前めちゃめちゃなんかゴミとか弾くじゃん、よく見たらテカっててかっこいいじゃん!」みたいな、掃き溜めでしかわからない鶴の美しさみたいなものがあるのかな、わっかんねえけど。

とにかくそういう最低の企画なんですけどね。単純に「騙すテレビ」と「騙されるババア」に二分しちゃうとそんなに面白くないんですよ。ではまずこの企画を受ける芸人ひいては芸人と母親の関係について思いを馳せてみましょう。こんな企画、まぁ駄目じゃないですか。それでも企画を受ける芸人ってどういう人なんでしょう?まぁ少なくとも芸人の側で企画として成立するなと思える母親だってことなんですよ。だってそりゃそうでしょ、番組だとか番組じゃないだとかじゃなくてやってることオレオレ詐欺ですから、息子の仕事に理解もなくて息子のことがかわいくも何ともない母親だったら何がどうなるかわかったもんじゃないから、そうじゃない母親を持つ芸人が出て来るわけですよ。そこにあるのは一定の信頼関係ですよね。母は子への愛情があって、子もそんな母からの愛情を知っている。僕はそこには子から母への愛情もあると考えるのですが、本当に愛情があったらそもそもドッキリに仕掛けないだろうという考えもあるだろうでここは一旦保留しましょう。

そんな風に名乗りを挙げた芸人のおかんがね、名乗りを挙げたのは芸人であっておかんじゃないけどね、電話でオレオレ詐欺を喰らうわけなんですけどね、詳細は伏せますがまーこれがえげつない。ババアって基本的に優しい生き物なんです。かつそれは愚かとも直結してしまうのかもしれない。子をかわいく思えばこそ、電話越しに語られる息子の状況を聞くにつけ不安は増すし、冷静ではいられなくなってきて、子を助けたいと思えばこそ相手の言うことに従ってしまう。そんなババアの優しい健気な心に漬け込んで金を騙し取ろうなんてね、オレオレ詐欺は本当にひどい犯罪ですよ。シンプルにこの番組を見た後だとオレオレ詐欺への憎悪の気持ちが増すのでそれだけでも広く多くの人に見られて欲しいなと思う

ほんで、電話で騙されようとするおかんをね、詐欺師集団が電話してるすぐ横で息子である芸人がそれを見守るんですけどね、これがまたすごいいいんですよ。愛する母親がね、この世に唯一無二の母親が、いつの間にか自分よりうんとちっちゃくなってる母親が、騙されて脅かされてなだめすかされて、動転して悩み苦しみながら右往左往してるわけです。見ていて辛くないわけがない。その悲痛な表情。しかし一方でこれはバラエティ番組であって彼らの職業は芸人ですから、おかんにツッコミも入れなくてはならんのですね。詐欺師の常套句にほいほい良いように引っかかるおかんに対して「いや、あかんやん」「めっちゃすんなり聞いてるやん」「騙されてるやん」とおかんにツッコミを入れる≒おかんを責めるようなことを言うんですね。ただ言いつつも顔は騙されておろおろしてるお母さんを見ていて悔しいやらなんやらなんですよ。ここがまたね、フィクションじゃない実際のオレオレ詐欺の構図を再現してるようで俺なんか泣けてきゃうんですよ。実際のオレオレ詐欺被害の話題なんかでもよく見かけるんですよね、「これだけオレオレ詐欺が流行ってるのにどうして引っかかってしまうんだ」って被害者である老人を家族が責めてしまうケースが少なくないんです、みたいな話。お母さんが騙されて苦しんでいるのを見るのは辛い、できることなら騙されてなんか欲しくない、だからお母さんについつい「騙されるなよ」と言ってしまう、でも悪いのはお母さんなんかではなく詐欺集団なんだ、1から10まで全部詐欺集団が悪いんだ、どれだけえげつない手段で騙してくるのかも今眼前で見えている、騙されるのはお母さんが子供を心配するがゆえなのだから本当は絶対に責めちゃいけないんだ、でも人は時として責めてしまう、自分がその場にいなくって何もできない無力感からついつい責めるべきじゃない愛する人を責めてしまうこともある、みたいなのがね、全部入ってるように見えたんです、少なくとも俺には。俺にはね!

ちょっとだけネタバレになるけどね、母親が騙される一部始終を見届けた芸人に対してカメラ回してるスタッフが「これがオレオレ詐欺なんです」って言ったら芸人がそれに対して「絶対あかん!」って言うんですけど、これがもう俺には笑うのと同時にちょっと涙が出るんですよ。「絶対あかん」と心の底から思いながら「絶対あかん」って言う人って普段なかなか見れるもんじゃないですから、ほんでなんで「絶対あかん」って思ったかについても、本当に色んなもんが一つも混じりけなしに入ってるから、ちょっとこの企画は、すっげえなと思って。

いやーだからこれはちょっと、ほんとたくさんの人に見てもらってその感想を聞きたいし読みたいんですよね、僕。たださすがにね、ちょっとこの俺のテンションのあがりようはおかしいだろってのは自分でもわかってるんですよ。僕の持論で男はみんなしょせんロリコンかマザコンのどっちかっていうのがあるんですけど、僕それでいうと絶対マザコン側の人間でババアがもともと大好物なんですよ。抱く抱かないじゃなくてね、コンテンツとしてのババアが大好き。ディズニーリゾートには興味ないんでね、僕の視聴率を取ろうと思ったら犬・ラーメン・ババアってくらいババアには目がないですから。僕が大学に入ってからはすっかり両親の実家に帰省する機会も減ってね、数年ぶりに会いに行った祖母と一緒にスーパーを回ってるとね、ババアが言うんだ、「なんか欲しいものあるか、買ってやるぞ」って。「いや、特に大丈夫だよ、ありがとう」って言っても「そうかい?遠慮しないで言いなさい」って言って最終的に「靴下あるか?靴下買おうか?」って言い出すんですよ、大都会大阪で生きる大学生がね、ど田舎の町から一歩出たら誰も名前を知らないようなスーパーでわざわざ靴下欲しがると思うかって話なんですけどね、婆ちゃんは孫になんか買ってやりたかったんだよ。何かしてやりたかったけど、靴下買ってやるくらいしかできない距離に俺がもう行っちゃったからさ、だから婆ちゃんあの時に靴下買ってやりたいなって思ったんだと思うんだよな。俺のなかでのババアの象徴っていうのがだいたいそんな感じ。聖母のように愛したい意思だけが残って、けど身体は枯れて、十全に愛して包み込む能力は失ったのにまだ愛そうとするババアって存在がすげえ愛おしいんだよね、俺の中で。だからすげえ色眼鏡は入ってるんだ、ババアがすげえ輝いて見えるメガネ。なのでそうじゃない人、ババアに関しては完全に裸眼の人の感想とかも聞きたいんだけど。でもやっぱ俺と同年代、30から40くらいの、おかんがもうすっかりババアだなみたいな年代の男?女と母親の関係は俺ちょっとわかんねえんだけど、そこらへんの年代の男性は、やっぱただのバラエティとしてじゃなくて色々「来る」ものがあるんじゃねえかなと思うんだけどどうなんだろう。「老い」について考えさせられるっていうとそれはまた違うんだ、俺の身長は伸びなくなったけど母親の背中は曲がる一方だなみたいなそういう「年月」みたいなこととかもすごい考えて、なんだろう、すごかったな。すごかった。見て。これは見れる環境の人とりあえず一回、騙されたと思って見てみて。以上です。

下関国際の文武両道全否定監督の話の雑感

脚を派手に骨折してやっちまってましてね、とりあえず療養中リハビリ中なんですけど膝と足首の可動域が微妙でしてリハビリ師の兄ちゃんが地力では最後まで折り畳みきれない僕の膝を押してくれながら「なんとか正座できるくらいまでは持ってきたいんですけどねー」とか言っててね、そのリハビリ師さんは拷問師も兼ねてるからギザギザの洗濯板みたいな石と石板をちらちら見ながら言ってくるから「いいですいいです!もう正座できなくてもいいです!ギザギザの上に正座させて膝の上に石板乗せてくれなくていいです!あと膝痛い!膝痛い痛い痛いたいたい!!」って言ってケツの穴に刺さった法螺貝を鳴らしてギブアップを宣言したりしてるんですけど、まぁよくよく考えたら正座ができるかできないかって結構深刻じゃん?みたいな。言って何気なく歩ける程度にはなるんだろうけど、もう元の脚に戻るのかは現時点保証は全然ないんだなとかは考えるわけですよ。今まで完全無欠の恵まれた健常者として生きてきましたけどね、ちょっとだけね。俺なんて所詮片足の可動域が生活には困らない程度に縮まるかもくらいの話だからほんとうにちょびっとだっけわかったかもなーわかった気になっちゃったかもなーと思って。人といる時は全然いいんだよね、軽口なんてすげえ自然に叩けるし、もともと正座なんて嫌いだったしそういう場面で胡座をかく良い口実になるよなんて簡単に言えちゃうけど、そうじゃない一人の時なんだよね。この前テレビでVS嵐を初めて見ててさ。普段そんな時間のバラエティなんてほとんど見ないから。ああ、関口宏となんだっけあのコーラ妖怪。今の中堅芸人がみんな感謝してる人望厚いコーラ妖怪がやってた「走って!」のやつ、橋本市議はー、もともと当時からSPEEDの大ファンだったのが念願叶って今井議員と交際に漕ぎ着けたとのことですがー、SPEEDのシングル・カットの中で恋人と思しき男性が歌詞内に登場する楽曲を7つお答えください、走って!みたいな番組あったじゃないですか。けものはいてものけものいないみたいな番組名のやつ。アレの後釜みたいな番組って今は嵐がやってるんだーって思いながら、あーつまんねーけど見ちゃうなー窪田正孝まじこいつかっこいいわー、って思いながら見てるんだけどふとした瞬間ね、ニノがボルダリングみたいなゲームをキャッキャ騒ぎながらやってて、両手で壁に張り付いてるところからぐぐぐっと脚を上に伸ばして引っ掛けるその瞬間にふっっっと、「あー俺はもうこんなんできないかもなー」って思って真顔になるんですよね。ほんの5秒前までは、あー窪田正孝ほんとかっこいなー、笑顔はかわいいし本当最高だなー、しかしどうして僕たちはやりましたチームにあのエネゴリ君の彼女来てないんだよ大女優ぶってんのかてめーこのやろーとか言いながら能天気にテレビ見てたのに、ふっと真顔になるんですよね。あれはちょっと真顔になった自分にびっくりした。まだ頑張ればなんとかなるかもしれなくて、まだ先のことはわかんない俺でもそうなるんだから、「できない」を抱えて生きるってことは、こういう瞬間とかこういう瞬間の今まで見たこともない表情の自分と一緒に生きていくってことなんだなーみたいなことを思ったんだよね。

で、なんだっけ、これ枕なんだよね。本文と全然関係ない、いきなり本題始めるのも堅苦しいしくらいのやつだったんだけどなんだっけ。もう正直ここまで書いた時点で一回飯食っちゃってヤル気完全になくなったからこのままどうでもいい話したところでアップしちゃいたいんだけど、これはさすがに最後まで頑張った方がいいよね?お前もそう思うよな、なぁ、犬!!

犬「わん!!!!!!!!!!!!」

そう、自分が跳んだり跳ねたりも自由にできないもんだからさ、例年よりは熱心に見にくいよね、全速力で何の躊躇いもなく駆け抜ける人らを見るとちょっと真顔が出るかもしれないから、みたいなことを言おうと思っただけなんですけどなんか全然関係ない話をケツに法螺貝入れたまんま1000字以上喋ってました。

で、まー内田良先生が今やってるブラック部活動的な取り組みとか普通に頑張って欲しいなって思うしさ、やっぱこういうのもういい加減やめようよ、みたいなことは思うんですね。だってすごいんですよこの監督、本文を読めばわかるんですけど、対戦相手の選手たちを指して「あいつら、甲子園でかき氷食ってましたわ。うちじゃありえへんっすわ(笑)」みたいなことを言うんですよ。しかもね、そこまで言うなら原価厨なのかなと思うじゃないですか、小麦粉の原価なんぼだからつって頑なにたこ焼きは自宅開催するタコパでしか食べないみたいなそういう人種なのかなと思ったんですけど、「飲んでいいのは水、牛乳、果汁100%ジュース、スポーツドリンクだけ」とか言ってるんで、たぶん原価厨ではないんですよ。原価厨はスポーツドリンクの話しないで塩舐めながら水道水飲みますから、知らんけど。あとあの果汁100%ジュースでいくと、自分で作った方が原価が高くつく可能性あります?サンキストとか買った方が自分でオレンジ絞るより安くつく?いやあの、かき氷ってフレーズがでてきたんで咄嗟に原価厨ってワードを持ってきて話を広げてみたんですけどこれをやりだすとキリがないのと、もうひとつマズイのが今ちょっと鱧の方に舵を切りたい俺がいるんだけどそっちにいっちゃうとたぶんもう帰ってこれない。鱧はなー、小池一夫の鱧の話も言いたいことはたくさんあるんだけど、個人的には、ごく個人的には「鱧を自慢されても・・・」ってのが一番でかいんだよね。サンマ食うわ。旬の鱧よりまだ旬じゃないサンマの方が美味いわ。安いし。食うところ多いし。だからなんか謝ったからオッケーみたいな感じありますけど、俺はどっちかっていうと、秋にも旬の魚の話しろよ!!って思っちゃうんすけどね。別にサンマじゃなくてもいいけど。自分の何が間違ってたかが本当にわかってるなら、次おんなじことしても間違わないはずだろうがよ!!みたいなのがあるので春夏秋冬順繰り魚の話しろよ!!かみさんの鰆うまい話に漕ぎ着けるまで二度と燃えるんじゃねえぞ!!みたいな。

ほんで、この監督がね、いやお前そりゃあかんやろ言うのがね、「文武両道は逃げだ」みたいなことを言ってね、対戦相手のチームの学校について「あいつら進学校ですか?」みたいなこと言うてるんですよ。そらあかんやろーいうね。そんな敵対心の持ち方あかんよー、っていう。ほんでわりとそういうのフラッシュバックしません?僕も出来の悪い高校には通ってなかったんで、わりと偏差値的には高めで360は越えてたかな?戦後すぐだったから、今から考えたら「いやそんな数字おかしいやろ」ってなるんですけど当時は偏差値360くらいの高校に通ってて、それで放課後にゲームセンターで待ちガイルとかしてるじゃないですか。そしたら対戦相手が怒ってね「何卑怯なことしてくれてんだ?」みたいな、「頭悪いからってナメてんのか?」みたいな。こっちはボコボコにされたケンみたいな表情で、いやいやそんなんちゃいますやーん言うしかないですよ。待ちガイルはそんな卑怯とかそんなんちゃいますやーん。そういう駆け引きとかを楽しむのも一貫であってー、こう真正面からぶつかりたいならストⅡじゃなくてビシバシスペシャルとかもっとあるじゃないですかー、あらはるじゃないですかー、みたいな。そういう感覚が思い出されてやっぱウッてなる部分はあるんですよね。

単純に、そういう強制力を発揮して部員を縛り付けて、ブラックな旧時代的なやり方がどうなんだっていうのがまず一つあって、それどころか、そうじゃないやり方を敵視して馬鹿にするのもどうなんだみたいなのがもう一つ。

ほんで、前者の話でいうとね、こんな話なんかもなんだかあるみたいなんです。

もともとこの下関国際っていうところは、札付きのワルって言い方であってんのかな?それこそフィクションで言えばROOKIESみたいなね。最近の方々はご存知ですかね、昔やってた大人気ドラマなんですけど市原隼人とか中尾明慶とかが野球部に所属するとんでもない不良でね、いやごめんなさい今のは言い方悪かった、あくまで市原隼人中尾明慶も不良役を演じてただけで実際には本人は不良でも何でもなくて、ただ悪い役を演じてて本人は何もやましいところがない潔白なんですよ、この二人以外にも本当に色んな人がでてましたね、今や押しも押されぬスーパースター・佐藤健とかね、auの浦島太郎役でお馴染みの桐谷健太とか、あとはあの小出

犬「小出ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」

みたいな、もともとはそういう不良ばっかで大変な状態だった野球部をかき氷ってただの匂いつきH2Oじゃん派の監督が頑張って立て直して今はこんなに立派になった、みたいな話なんですって。

だからまぁ、そういうさ、前時代的なさ、それこそ軍隊的なさ、そういう教育だったり指導法っていうのを全否定するのもキレイゴトに過ぎなくてさ、そういうのが効果的で必要な環境ってのもあるわけだから、それを叩くのも違うんじゃないの?って意見なんかも見かけたりしつつね、いやでもやっぱり違うだろー、言ってることはわかるけど違うだろーって考えてたんですけど。

それで引っかかったのがね、まぁこのチーム、今日負けてたんですよ。かき氷食ってるチームに。でもアレですからね、進学校なんで。みんな賢いんで、別にメロン味のかき氷にメロン果汁入ってるとは思ってませんからね。なんやったらイチゴもメロンも味は実は同じことまでわかったうえでかき氷食べてますから。知らんけど。それでまぁ監督としてはすごい恥ずかしい話の流れだったんでやっぱネットでも話題になるんですね、それで色々見て遊んでたんですけどその中に、該当の監督のインタビューについて

「優勝してから言えばかっこよかったのに」

みたいなこと言ってるのを見かけたんですよ。で、俺は、それは違うな、と思って。むしろ、その監督のブラックなところとか、他所のやり方をナメて否定するところとか、それって勝ち負けと全くかけ離れたところで批判されなくちゃならんなと思ったんですよね。優勝したとしても絶対駄目だって言わなくちゃならないところで、むしろそんな「結局優勝できないんだったら口だけで恥ずかしいですよね」って発想は「俺たちが勝って正しいってことを証明してやりますよ」みたいな向こうの監督のノリに飲まれて引っ張られてるんじゃないかと思うんですよね。

もう何年か前に、部活の体罰の問題が盛り上がってた時に、「体罰なんかでチームが強くなるわけない。全く非合理で無意味だ」って意見と「いや、体罰には実際に強くなる効果がある。体罰をやめろというのは甘えだ」みたいな意見が対立してるように当時の俺には見えてて、それで「いや、体罰は効果あるかもしれないね。チームを強くするかもしれないね。だとしても、やめない?そこまでして勝っても仕方ないでしょ?」みたいな落とし所はどうでしょう、みたいなことを言ってたんですけど。

だからまぁなんつうか、倫理観というか今あるべきとされる人間の在り方みたいなものがありますわな、それを目指そうって時にそれを目指す理由には「それが最良の結果を期待できるから」ってのが必須じゃないとそんなにあかんのかな、と思うんですよね。時代錯誤の軍隊みたいな部活動ってのは駄目なんだと僕は思いますよ。ただ、その駄目だっていうことは「彼らが負けること」でしか証明できないのでしょうか。彼らを試合で負かすことでしか証明できないのでしょうか。それはそれ、これはこれ、とはならんもんなんでしょうか。

逆に言えば、これはすげえ甘っちょろい言い方ですけどね、あの監督はなぜそんなに勝ちを求めて、勝つことで相手のやり方を否定しようとしたのだろうかとかも考えちゃいますよね。そりゃあ一般的などのような場合でも良しとされるやり方ではなかったですけど、ひでえ荒くれようだった野球部とそこにいるどうしようもない非行少年をどうにかしたんだったら、別に野球の試合で勝たなくたって、それは大したもんだと言われていいと思うんですよ。「勝ってもっと正しいことを全国に見せつけなきゃ」と彼に思わせたのは何なんだろうとか。そういうことを考えたんですよね。

あと書いてて今気づいたけどここでしてる話全部るろ剣の志々雄編に書いてる。以上です。

松葉杖の青年にインディアンポーカー感覚で話しかけるババア

あのー、骨折をやってましてですね。

右脚をスニッカーズみたいにやっちゃいまして。スニッカーズで言えば一番上の部分のキャラメル部分に相当するのが俺の脚では肉になるわけですけど、スニッカーズをサクッといこうとしたらちょこっとネチョっとする部分あると思うんですけど、アレがまぁ脚でいうと肉の部分というか、肉ってその程度の役割しかないんです。支えてくれる大半は骨なんです。スニッカーズがキャラメルだけで二つに離れないよう持ち堪えられるかと言えばそうではないように、俺の脚も骨が3on3でアリウープ決めた白人がサクッといったスニッカーズみたいになってしまったので少しでも動かすと骨がキャラメル部分こと肉を支えてくれないから激痛が走るっていう。あのね、みなさんこの例え全然ピンと来てないでしょ?でもそれでいいんですよ、これは俺の痛みとか怪我の状況をいい感じにお伝えするための比喩表現ではなくてね、脚折れて救急車で搬送されてる時の俺の脳内映像はいい感じにサクッといかれるスニッカーズだったっていうありのままの報告ですから。おかしくないですか?31歳のいい男がですよ、脚折って、仕事もあって家庭もあって考えなくちゃならないこと色々あるはずなのに頭のなかに浮かんでるイメージ映像スニッカーズですよ?救急隊員は怪我人なんざちょっとやそっとじゃ死なないことくらいわかってるから扱い雑なわけですよ。なのでストレッチャーに乗せられるだけでも痛くて吐きそうなわけですよ。痛さで吐き気に見舞われてる極限状態の頭のなかで流れるのは愛する妻の顔でもなく明日から引き継がなくちゃならない仕事の整理でもなくボーリング場の使われてないレーンで流れてる映像にありがちなすり鉢型のステージでスケボーやってる白人ども、そしてそいつらが食べるスニッカーズ。俺の脚、スニッカーズだなと思いながらそんな白昼夢を見るんですよ。やばくないですか?

まぁいいや、まぁ怪我した時のおもしろ話はおいおいしますけどね。まぁ今はなんやかんやで松葉杖なんですよ。手術しまして。なんか俺の大事な骨だった骨が骨Aと骨Bに両断されてたみたいでですね、しかもなんかあの向かいの家のミニチュアダックスフンドは家のなかでゆうゆう暮らしてるのに、うちの秋田犬ベースの雑種のタローは相変わらず外で飼われててなぁ。餌も、向こうのミニチュアダックスはチャム的な?ペディグリーチャム的な?なんか柔らかい、今から火を通すハンバーグみたいなおいしそうなもの食ってるにも関わらずうちのタローは残飯食わされてるな的な。それなりにタローもうまそうに食ってるからタローお前もそういうバカな態度が駄目なんだぞっていうのにもイライラしつつそれでもハッハ言いながらタローがうまそうに食ってるならいいかなと思ってたらフライドチキンの骨をタローが嬉しそうにガリガリやってるんだけどさ、その骨を真っ二つに噛み砕いてかじってるんだけど、その真っ二つの角度!ふたつに割るっていうよりスラッシュしてる感じ。二つに割れたところの切っ先がそれぞれまち針みたいにぬらぬら光ってて大丈夫かタロー!!お前そんなもん喉に刺さったら大惨事だぞー!!??みたいな、そういう角度の骨の折れ方あるじゃないですか。俺の脚もあんな感じになってんのね。だから自然にはひっつかねえから手術しようって話になって、骨Aと骨Bをピコ太郎感覚でつなげようって話になって、♪アイハバ骨A~アイハバ鉄の棒、アン!ってノリで骨Aと骨Bを鉄の棒で繋げんのね。で、骨Aに3発、骨Bに3発、ボルト入れて固定したからまぁ大丈夫じゃない?って先生は言うわけですよ。「最初2本ずつでイケるかな思ったけど念のため3本ずつ入れといたわ」言われてね。何それ完全にフリーハンドの言い方じゃん。なんとなく感覚で俺の脚に穴開けてボルト入れたでしょ?みたいな感じで手術は無事に終わりまして、紆余曲折あって今は退院したものの、まだまだ完治とはいかないわけですよ、まだ一ヶ月経ってないしね。

今は仕方なく松葉杖二本を両脇に抱えて生きてますよ。それでリハビリとか行きながら細々生きてるわけですけどね。そうするとね、「待ち時間」っていうのが生きててものすごく多いわけ。病院で診察での待ち時間もあればね、そんな長いこと歩いてもいられないからバスとか電車とか公共交通機関に頼ることも多いわけ。そうするとね、これも人情の街・大阪っていうお国柄なのかな、話しかけてくるババアがすげえ多いわけ。松葉杖なんて目立つもの持ってる青年だからね。いやでも、お前31だろうつって?青年って年でもないだろって思うかもしんないけど、たぶん業界ではまだまだ若者なわけ。俺も思ったよ、入院中にさんざ看護師さんに「若いからすぐ回復するよ」って言われるわけ。俺もう31よ?何が若いんだよって思うけど、周りにいるのは60とか70のジジイババアばっかなわけ。そりゃ相対的に若いよ。俺が若いって言われるのは仕方ないわけよ。たぶん氷川きよしもこんな感じだったんだろうなって。社会的にはけっこうな年齢なのかもしれないけどいつまでもいつまでも若いどころかプリンス扱いでさ、そりゃわからなくなるよ。マネージャー殴るのも仕方ない。楽しんごとごっちゃになってる気もするけど、もう俺はどうでもいい。風になりたい。つまり俺もさ、若いつもりはないけれど、まだまだ相手によっちゃただの「よう兄ちゃん」であり「若者」であり「青年」にすぎないんだなって松葉杖持ってことさらに痛感したよ。とにかく、バス停でも病院の待合室でも、暇つぶしがてらにババアが話しかけてくる。

でね、最初は「ババアなんやよう話しかけてくるなぁ」程度だったんですよ。ただね、徐々に気づいてきたんですよ。

この俺にね、「どうしたん松葉杖なんか持って?大変そうやな?」って話しかけてくるババアは確実にね、もっと大変な思いをしてるババアなんですよ。なんやったらだいたい5割は癌でステージⅢ~Ⅳに到達してるんですよ。ここまでだいたい2000字くらいね、俺のした怪我けっこうたいへんやったぞっていう前段を繰り広げてきましたけどね、これを一瞬でチャラにするような重たいエピソードをババアどもは放ってくるわけですよ。僕だってこの一週間でね「見つかってすぐ手術っていうのは逆によかったよ。切ったら良くなるってお医者さんが判断したからすぐ切ることになったわけやから。これが転移とかしてたらすぐ切ろうって話にならなかったでしょ?だから婆ちゃんそれは良かったよ」って3回くらい言ってるかね?いや、俺の言ってることの医学的根拠は知らんよ?ただそんなん言われたら婆さんは悪い気しないでしょ?だから俺はそういうこと言うわけ。そしたら婆さんもまんざらではないわけ。

松葉杖なんか持ってなかったらね、こんなしょっちゅうしょっちゅうババアに話しかけられるなんてことはまぁ無いですよ。それが松葉杖を持った瞬間にね、どうしてこうも死地を乗り越えたババアに話しかけられるものなのか。あいつら結局インディアンポーカーですよ。俺が松葉杖持ってるでしょ?それであいつら察するんですよ。あいつは大したことないって。あんな若い年齢で松葉杖持ってたらせいぜい怪我で、日にち養生で治るただの怪我だって。インディアンポーカーの2か3くらいに思ってるんですよ。対して自分はステージなんぼとかの難病を去年に切除したとかそういう自分の額のカードが少なくともJQKの絵柄だってのがわかってるから。だからあいつら話しかけくるんすわ。ええけどね、話しかけてくれても。俺はそりゃ若者がらさ、あんたらが話しかけてくれなくてもツムツムとかやることは引く手数多なんやけど、あなたが手術痕見せたいなら、まぁバス来るまで暇やし見るけどええよ。ただな、この競争社会に飽き飽きしながら生きる昨今な、病気になってもお前らそうやってマウント取ってくるんかいっていう絶望な。そういうのはやっぱ感じないでもないよ。俺たちはこうやって死ぬまで、死因までインディアンポーカーにして生きていくしかないんだなっていう。最高だよ。最高に笑える。障害でもらえてる金の月額を全部待合室で教えてくれるババアも、電車を待ってるスキマ時間に面倒見てくれる子供・見てくれない子供ランキングを事細かに教えてくれるババアも、手術・転移発見・手順・転移発見の高速サイクルを相席したバスで喜々として語るババアも、すべて愛おしいね。脚を折ればわかるよ、この世界は生きにくく、生きにくいこの世界を誰しもが必死こいて生きてるよ。その一端なら知れる。全容は知れずともその一端は知れる。最高。以上です。