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子は意味もなく生まれ

この文章は、最初「子は意味もなく生まれ」というタイトルで考えて書き始めたのでそのままになっているが、書き終えて改めて考えてみるとわざわざ「子」と対象を限定する必要がないことに気付いた。人は誰も誰かの子だし、親もかつて未だ親ならざるものの子だった。「人は意味もなく生まれ」でよかったじゃん、と思った。

嫁が、昔からの友人と先日遊びに行っていて楽しかったらしいので何よりだったのだが、そこで話した色々について聞かされるなかで出てきた話題のたくさんの中のひとつに、嫁さんと嫁さんの会った友人の共通の友人のなんとかさんの息子の話題が出てきた。なんとかさんの息子さんは大層な変わり者の子であるらしく、なかなか話も通じなければよくわからない行動も多くて、そのお母さんは色々悩みもした結果、宇宙人から預かったもんだと思って育てているらしい。

それでお母さん、日頃大変なことは色々あるらしいのだけれど、ある時にその息子さんが幼稚園だか小学校だかでお遊戯会だか学芸会だかをやる時があって、そこで息子さんは何かしらのメイトのみんなと一緒に舞台に上がりマーチングみたいな小太鼓を叩く演目に参加したらしいのだけど、他の子どもたちが一生懸命太鼓をリズムだかに合わせて叩くなか、息子さんはぼーっと突っ立って太鼓も叩かず時間を過ごしていたそうだ。それを見ていたお母さんに、他所の誰かのママ友さんが声をかけた。「いやー、よかったですねー」。

嫁と友人はそのエピソードを受けて、そんな風に言われた時になんて返せばいいのだろう、そもそもどういう意味で向こうは言っているんだろう、と二人で話していたそうだ。それで「なんて返す?」と俺は嫁さんに言われたので僕はあんまりそんなに考えることもなく「ああ、どうも」とかでいいんじゃない?と返すと、嫁さんは「ああ、それでいいのかぁ」と言っていた。

たぶんこれって発達障害がどうのとかの話なのかもしれないけど俺は専門的な知識もないし子どもを持つ身分でもないので、そこらへん全部知らないていで続ける。

俺がこの話を嫁さんとしていて最初に思ったのは、「え、だって、その人は太鼓を上手に叩かせるためにその子を生んだわけではないのだよね?」ということだ。太鼓を叩かせるために生んだわけではないのなら、太鼓がうまく叩けないくらい、そんなことどうってことない。「いやー、よかったですね」と言ってきたママ友さんが嫌味かどうなのかも俺にはよくわからないのだけど(かけっこの時にそのお母さんが転んでビリっ子のママ友さんに「いやー、よかったですね」と言った可能性もあるかもしれない)、別に太鼓なんざ叩けなくて困るもんでもなし、どうも気にするこっちゃないように思われる。喇叭を吹かせるつもりで生んだんなら、太鼓くらい人並みには叩けた方がいいのかもしれないが、別にそんなつもりで生んだわけでもないだろう。

人は意味もなく生まれる。

別に何か使命があって生まれることもなく、誰かの都合でなんとなく生まれる。何の段取りもなしに生まれるだけで一大事なのに、そのうえ宿命なんか宿命付けられて堪るか。人は、意味もなく生まれ、誰に意味を問われることもなく生きればいい。そういう前提であれば、生きるということは自分が生まれた意味を探すことだ、なんて自分にくらいは言ってみてもいいのかもしれない。でも決して他人にそれを言ってはいけない

思い出したのは、いつだかの昔に見た、それよりもずっと昔のビデオテープで。そこには幼少期の僕が運動会だかなんだかで転んで泣いている姿が映っていた。そしてそこにはそれを笑う父親の声もあった。僕は運動ができない子どもだったのだけれど、それが嫌だった気持ちが当時あったのは覚えてはいるのだけれど、僕はそんな僕を見て父親が笑って見ているその映像を見て、なんとなくありがたくも思った。ここで父親が転んで泣く僕を見て本気でがっかりしていたら、僕は駄目なやつなんだと思って本気でがっかりしていたかもしれない。運動できないやつは運動できないし、できて喜ぶぶんには構わない。ただ、まぁどっちにしたって大したことではない。どっちでもいい。たぶんそういうことなんだろうな、と思った。

翻って、太鼓をうまく叩けなかった件の小僧について僕が思うことは、その小僧はどういうつもりなんだ?ということだ。彼は、そもそも太鼓を叩きたかったのだろうか。叩きたくなかったのだとしたら、むしろ僕は彼のことを褒めてやりたい。そうか、太鼓なんざこれっぽっちの興味もないのに、周りに合わせておとなしく突っ立ってやっていたのか、そりゃあ殊勝だと言うのが僕にとって一番自然だ。もし本人が太鼓を上手に叩きたくて悔しがっているのなら、何か次はうまくやれる工夫を一緒に考えてやりたい。ただ、その過程で「みんなが言うてるからやりたいだけちゃうか?太鼓ってそんなに大事か?」みたいなことは何回か聞くと思う。

結局、かけっこが出来なかろうと太鼓が叩けなかろうと、別にそいつはそんなことするために生まれてきたわけじゃなし、なんでもいいじゃないか、と思う。何かをするためとか、そういう意味もなく、ただ漠然と子どもとか人って生まれてくるのだ。だから、それでいいじゃん、って思うんだけど。

こんなもん、俺は別に誰の親でもないし、外野だから無責任に言える何の参考にもならないどころか参考にするだけ損なことなのかもしれないけれど、人が生まれることにも生きることにも死ぬことにも意味なんかないし、意味は当人が見つけた意味にしかほかならないし、それって結局世界と自分の付き合い方を見つけるってこととほとんどイコールなんだろうなと思って、俺はここらへんの話で言えば「優しく育ってくれればいい」とかも微妙だなと思ってて、優しくいようとすることで世界との距離感がわからなくなる人もいるしね。優しくなることで不幸になるなら優しくなんかなくていいと思うし、まぁ人を著しく傷つけるとかしなけりゃそれでいいよ、ただ、世界と自分の付き合い方を、世界に自分がいる意味を、勝手に一人で見つけりゃいいじゃんと思う。そのうえで、ちょっとした先輩として俺が世界について知っていることくらいはそりゃあいくらでも教えるし。

くらいのゆるい感じでいるのが、この世に意味もなく生まれる人に対しての接し方としてはちょうどいいんじゃないかなと思うんだけど、俺はなんか人間を育てた経験とたないのであんま知らん。俺がまったくの他人事だからこんな軽口叩けるだけなんだろうなとかは全然わかるんだけど、これくらいで考えるのが一番ラクなんじゃないの、みたいな、そんなことを思ったのだった。

以上です。

辛いもの平気な女はどうしてかわいく見えるのかという宇宙の謎を解明した

辛いもの平気な女はかわいく見えるという宇宙の法則があるわけですけど長らくなぜなのかは分からなかった倉木麻衣が何回OPテーマを新曲に差し替えても一向に解ける気配がなかったその謎を、俺は遂に、遂に解いてしまったことを半ズボンで報告致します。これまで定説として流布されていたのはギャップ萌え説、辛いものが好きとは到底思えない女の子が激辛料理をパクパク食べるそのギャップ、それが堪らないという定説、これは一体どうなの?ギャップってことは、それはかわいい女の子を見た時に「うわーこの子、辛い料理とか食べられなさそう~、辛いもの食べさせて~」って思うみたいなそういうこと?それはちょっとよくわからないな。いや、そういう人がよくいるのはよくよく考えるとよく分かるんですけど、果たしてそれがすべてなのだろうか。俺にはどうもそうとは思えないんよなぁ。僕の考えた仮説は、結局、男ってやつは女の顔が好きなのだ。それは勿論面食いみたいな要素はあるけれども女の顔という顔を見るのが好きなのだ。まじまじと顔を眺めるのが好きなのだ。けどそういう機会って普段あんまり無いわけで、それが辛いものを食べてる時はどうだ。「私、辛いもの全然平気で好きなんですよー」って言われて「えー、本当にー?じゃあ頼んでいいけど本当に大丈夫?」なんてことを言いながら注文した超辛い料理がやってきて、それを女の子は食べますわな。モグモグしますわな。そこでこっちを見るんですよ。「いや、全然平気ですけど」の顔をするんですよ、キョトン顔を見せてくれるんですよ。かわいくないですか?これは別に辛いもの食べたのに平気なのがかわいいとかじゃなくって、こうも自然に何気ない何でもない普通の表情を目と目が通じ合う感じで他人に見せる機会ってそううそなくないですか?ただのおいしいものを一緒に食べた時だって視線の目配せくらいはするかもしれないですけど、その時って「おいしい~」っていうちょっと作った表情をしていると思いませんか?辛いものを食べた時はそうではないんです。見る側は、辛い~っていうオーバーリアクションを期待している。だから食べた方は、「別に何でもないですけど」っていう普通の表情を見せてくれる。ふつう、人間と会話しているときには決して見せないであろう、まれに見る何の策略もないデフォルトの表情。リアクションを取るに値するほどの辛さは感じない、という意識を表明するためにはそうするより仕方ないのです。しかし、そんな無の感情・ニュートラルな感情を人前で表明するって辛いものでも食わない限りなかなかないですよ。だから人間は錯覚します。辛いものを食べて、「これくらいどってことないですよ」って顔でこちらの顔色を覗く女、超かわいいです。ヤバいです。居合の達人の一番かっこいい瞬間は刀を鞘から抜くその刹那です。構えてる時から佇まいがある。全ての剣さばきはここから生み出されるんだという思いに駆られる。結局、人間の表情もそうだと思うんです。一番神々しいのは相手にこう思われようと表情を作るその手前。今からどんな表情にでもなれるその瞬間。その瞬間が一番美しい。そのフッと抜いていつでも抜刀できる瞬間の顔が、辛いものを食べて「え、全然平気だよ?」って顔を上げるその瞬間の顔のような気がする。これをギャップ萌えというのかはわからない。ただ、そこにいるのは、いつも以上にニュートラルな君なのだ。辛いものを食べても平気だよ、という顔をするために「ケロン」とした顔をする君は、もうその時を逃すといつ見れるかわからない。次の瞬間には世の中か何かか、いずれにせよ平気ではいられないちょっと緊張した君にしか出会えない。辛いものとか、あと酒とか、なんでもいいんだけど、何かを食べた後に「全然平気だけど?」っていう顔をする女の子のかわいさ、たぶんそれってここらへんなんだろうなみたいなことを思って書いたんですけど、40人くらいに「わかるー」って言われたらまぁいいかなと思いました。以上です。

2代目キャストのドラえもん映画最新作以外全部観たのでランキング作る

Amazonプライムに加入したタイミングでインフルエンザにかかって動けないけど脳が暇なので何か情報が摂取したいけどあんまり難しいのはしんどいので無理という絶好の地獄に陥ったのでせっかくなのでのぶ代じゃない方のドラえもん映画をAmazonプライムで無料で見れるぶん全部観た。なので俺の主観的な面白かったランキング作る。これ書いてるやつのドラえもんについての前提は大体こんな感じ。

 

・31歳男。子供の頃は普通にドラえもん観てた。てんとう虫コミックスも読んでたし、コロコロも買ってた。

・声優交代したのはたぶん高校生くらいの時?その当時はもうドラえもんを観るような年齢でもなかったので観てなかったが声優交代してすぐは何回か冷やかしで観た。もちろん当時は「こんなの俺の知ってるドラえもんじゃないー、変なのー」みたいなことは思ったと思う。

・大学入って以降はテレビ自体から離れたし社会人になってテレビに戻っても金曜19時に家にいるわけないのでここ10年は本当に全く2代目ドラえもんに触れたことがなかった。ただ、昔と変わらず子供の人気者をやってる感じは横目でずっと観てたり木村昴たてかべ和也が一緒に酒を飲んだみたいな話をネットで見かけたりのぶ代がもうアルカノイドができない状態になってしまったり色々あったので「初代こそ真のドラえもん、2代目なんざ認めない」みたいな最初はどこかに持っていた感覚は気付いたら皆無になってた。

・あ、でもキャスト交代してからしばらくのあいだは大山のぶ代がバラエティに積極的に顔を出して旧ドラえもんの声を披露して回ってたのを「次のドラえもんの声が定着するのを妨げたいのかよ嫌なババアだな」と思いながら観ていた記憶があるので当時から2代目には肯定的だったような気もする。

・肝心の映画については「それなりに観ていたのは間違いないがそんなに覚えてない」くらい。全部は観てないけど、まぁ観てた。けどあんま覚えてない。鉄人兵団は、ヒロインの手当シーンがちょっと子供ながらにセクシーで、鏡の世界が舞台で、スネ夫スネ夫の持ってたロボの友情が地味によかった気がする、ほんでいい話だった気がする。くらいのマジで断片的な記憶しかなかった。ドラえもん映画で一番覚えてるのはブリキの迷宮(ラビリンス)だったと思うのだけど、敵のロボが一斉にバグって「糸巻き巻き」の歌を歌い出すやつが子供ながらにすっげえ怖かった。

・映画をイッキ見する前の時点でもたぶんひみつ道具30個くらいは思い出して挙げれてた気がする。30という数字が熱心なファンから見るとどうなのかは知らんが「10個ならイケるかなー」とか「20個とか絶対無理」とか言う人もたくさんいるだろうなか「30個くらいならまぁ間違いなくイケる」と言える程度には見てて、覚えている。実際やったらたぶん間違いなく30よりもっとたくさん挙げれるのだろうと思うが具体的にどれくらい言えるかはやってみないとわからん。ただ、30は確実にイケる、くらいの感じ。

・若気の至りというか恥ずかしい斜に構えた厭世的な物の見方だったのだけどFが亡くなってしばらくは例えば弟が買ってるコロコロでドラベースなんてものをやっているのを見かけて「原作者がいなくなったんだから無理に延命するなよみっともない。潔く幕を引くのがいいんじゃないの」とか思ってもいたが俺がいい大人になってもまだ子供に夢を与え続けてんのかと思うと当時の自分の考えを本当に恥ずかしく思うし、ドラえもんというコンテンツを今も作り続けてる人たちにはものすごく敬意を払いたい。

・ディズニーとかピクサーとかが好きなので「子供も大人も楽しめる」みたいなジャンルは基本的に大好き。ただ、そういうの観るのが好きで、それが面白くて興奮してコレ面白いぜって言うのも好きだし、これは違うんじゃねえかって思ったものに違うだろこれはって文句言うのも好き。別に子供も大人も楽しめるコンテンツに限らず大体何もかもに対してそんな感じ。

 

こんな感じの奴が2代目ドラえもん映画の最新作を除く11作を観た感じの感想のやつです。観た順番は別に一作目から順番ではないです。また、インフルエンザで朦朧とした状態で観てるので覚えてないところはあんま覚えてないとそこは開き直っていく。浅い眠りと覚醒を繰り返していた場合は起きてから「ここまでは確実に起きてた」というところまで戻って観直したりはしてた。では、10位から順に発表していって1位を発表した後に11位を発表するありがちな演出でいきます。このありがちな演出を今回のランキングでやる必要あるのかはよくわからん。

 

10位:のび太の人魚大海戦

 全体的に死ぬほどわかりやすい。毎回この作り方でめちゃめちゃ面白くなったらラクなのにという気持ちは誰もが持っているけれど残念ながら普通に面白いくらいにしかならんのよな感がある。なんか単純に「人間は〇〇の素晴らしさをもう一度見つめ直すべきですよ」的なやつをドラえもんは基本混ぜてくるわけですけど、この作品だと当然それは「海」なんだけど、あれこの話作ってるやつ、そこまで海好きじゃない?みたいな風に感じた。あと、かわいくてちょっと馬鹿なマスコット的キャラを出すのはいいんだけど、そいつが要職に就いてるのはちょっとリアリティライン的にしんどい。姫の一番の友達とかじゃあかんの?

  

9位:のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)

なんか、すげえ惜しい。日常から巻き込まれる形で話が壮大になっていく展開とか、偽物のヒーローが人に信じてもらうことで本物のヒーローになるみたいなテーマとか、すげえ好みなんだけど、大枠はこれ絶対面白くなるだろって感じなんだけどエッセンスがことごとく置きにいっているというか、作ってる側の方で色々が噛み合って全部に必然性があることになってるんだろうかと考えるとすげえ怪しく感じられる。たぶんこのお膳立てで展開するならクレヨンしんちゃんにやらせた方がうまく回ったようなと思わせるくらい、何かが足りない。面白くなるはずなのになんで?という疑問符がすごいので逆にもう一回観るかも。もう一回作り直して欲しいランキング1位。

 

 

8位:新・のび太の大魔境 ~ペコと5人の探検隊~

 全然悪くはないんだけど、単純に魔境の奥の古代文明みたいなテーマがなぜか俺にはあんまり刺さらないのでテンション上がらんかったごめん、みたいなところはある。それでもやっぱりのび太が命(タマ)の取りあいをして得意な射撃ならまだしも最終的にはひみつ道具の力も借りず勇気とラッキーで乗り切っちゃうのどうなのとか(こういうのもしんちゃんの仕事じゃない?と思ったり)、あんだけ色々あった王子と別れる時に普通の犬みたいなモフり方にドン引きしたりとかすごい気になるポイントあったので、しずかちゃんの機転によるロジカルな形勢逆転がなかったらもっと下位だったかもしれない。あと、これはリメイクもんだからもともとそこの要素あったんだろうけど、2代目ドラえもんって全体的に「映画版のジャイアンいいやつ」ってネタが最早世間にあるあるとして定着してしまってるので作ってる方も「さあ今回はジャイアンにどんないいやつをさせてやろうか」みたいなちょっとギャグみたいな気合の入り方になってる気がする。

 

7位:のび太と奇跡の島  ~アニマル アドベンチャー

たぶんお父さんと息子さんが二人で来て二人とも楽しめる作品にしようみたいなコンセプトがすごく前に出てるのでお父さん世代に馴染み深い声優を、みたいな意図があるのはわかるんだけど野沢雅子を使った采配はギャグとしか言いようがない。完全にただのババアの声やないな。でもまあそういう父と子とみたいな世代を意識させる話のテーマとして絶滅動物の生きる島を持って来たのは割にしっくりくるし、あんまり重たくならないたぶんテレビアニメ版のノリの延長に近いこの方向ってのはまあ一つの選択肢というかパターンとしてはアリなのかな、と思った。子供はふつうのドタバタ映画として楽しんで、親はそれよりもう少しだけ多くを受け取ってる、くらいの。

 

6位:のび太の新魔界大冒険  ~7人の魔法使い~

観てる最中はまあそれなりに面白かったはずなんだけど観終わったらもっとなんかこう色々残ってないもんなの?あれ、すげえサラッとした読後感、なんで??となった。色々考えたけど全体的におどろおどろしさがなくって全然怖くなくって、ライトでポップな2代目ドラえもんと悪魔とか魔族とかの食い合わせが悪かったのかなーみたいな感じ。でも子供からすると普通に怖いのかなー、どうなんかなー。子供と一緒に見てみたいなー。

 

 

5位:のび太のひみつ道具博物館ミュージアム

 たぶんだけど、これあんま世の中的には評価されてなさそう。俺も、俺の知ってるドラえもん映画じゃないな、とは思う。けどまあ奇跡の島と同じこと言いますけど、こういうドラえもん映画もまあええんちゃうか、みたいなことは思った。何よりダヴィンチコードとかを踏まえてんのかな、ひみつ道具博物館っていう舞台を持って来たのが攻めてて良かったと思う。時代のトレンドや流行り廃りを取り込みながら原作にはない世界を原作の延長として作っていくってのは結構度胸がいるけど今後絶対必要なところだと思うのでそれは本当に良かった。明確な悪役がいないのは、ちゃんとした思想を持った明確なオリジナル悪役を作るのは攻めすぎってことでちょっと日和った印象は受けた。というか明確な悪役にしなかったせいで余計にあの博士ってどうなん?みたいな感じになってる。たぶん内容だけで考えるとここよりもっともっと下位にするべきなんだろうけど、まあ必要なドラえもんってことで。

 

 

4位:新・のび太と鉄人兵団  ~はばたけ 天使たち~

リメイク前のファンにたぶん改悪としてボロクソにこき下ろされてそう。リメイク前をうっすらは覚えてるので俺もさすがに全面的に泣かせにかかり過ぎだろうとは思わんでもないが、まあスタンドバイミーの気持ち悪さに比べりゃかわいいもんですよ、の精神でそんなに気にならなかった。むしろ2代目ドラえもんはどんだけ泣かせの方向に走っても「まあスタンドバイミーの気持ち悪さに比べりゃかわいいもんですよ」で開き直れるのである意味強力な武器を手に入れたと言える。あのヒヨコを出すことでラストのコントラストがなくなって大味というか感動の押し売りになったのは間違い無くて改悪かと言えばまあ改悪なんだろうと思うが、じゃあそれによって作品がつまらなくなったのかと言えばそんなことはない。普通に面白かったんじゃないの、と思う。

 

 

3位:新・のび太の日本誕生

これは普通に正統派リメイクって感じがした。リメイク前のはたぶん観たけどあんま覚えてないんだけど。すごく高い品質での可もなく不可もなく。逆に書くことがない。お子様も大人も楽しめる大変良い春休み映画だと思いました。

 

2位:新・のび太の宇宙開拓史

 

 リメイク前は一切覚えてなかったのでたぶん観てない。全体的に渋くて骨太。ギャラどうなってんのってくらいジャイアンしずかちゃんスネ夫の出番が少ない。そういうバランスというか公約数的に必要なものを詰め込もうとガチャガチャ組み合わせるのは最低限にしてまず作劇ありきみたいな力強さを感じた。ゲスト世界の人々が抱えている背景もいつもの単純な「悪い奴がいて困ってる」に留まらないヘビーさがあってドラえもんらしからぬところがあり、それをドラえもんでやることの意味みたいなものが作ってる方の中で明確にあるんだなというのがしっかり感じられて良かった。野球できる場所を探してるのび太と開拓民との「土地」という概念とそこへの思いのギャップとか、勉強しろと言われて駆けつけられないとか、あの世界観にのび太たちが飛び込むんじゃなくて、のび太たちの日常と接続するってところがすごく良い。

 

 

1位:のび太と緑の巨人伝

 たぶん「緑の巨人伝 ジブリ」で検索したらボロクソに叩かれてると思う。が、俺は最高だぜ、と思った。どっちが良い悪いではなく、じゃあ敢えてジブリと比較するならば例えばポニョとか千と千尋なんかは典型的な日常から非日常へだけど、言うてそもそもジブリ映画が非日常じゃんって側面なんかはあるなと思ってて、それと比較すると普段テレビでやってるドラえもんは本当の意味でちゃんと日常だと思うわけ。壮大な物語になっていきそうな前フリもなくはないけれど、裏山と空き地とのび太の家とでいつも通り展開していくと思った物語が突然に加速してどんどん大きな物語になっていくというのがやっぱドラえもん映画の醍醐味だよな、と思う。それをやれるところまでおもっくそ振り抜いたのがこれ。たぶん「ついてけない」とか「置いてけぼり」みたいな批判はされまくってるんだろうと思うし、ドラえもんが客にそんなん言わせたらあかんのかなとも思うけど最後までついてくる子供だって絶対おらんことないしその子供にとっては超弩級の演劇体験だったに違いねえと思うのでもう完全に最高だと思う。これ書き終わったら俺は探すの大変かもしれんけど緑の巨人伝絶賛してるテキストを探すインターネットの旅に出る。同じような旅に出てこのテキストに辿り着いた人、こんにちわ。ごきげんよう

 

11位:のび太の恐竜2006

 この作品を楽しめるかどうかはすべて「タイムふろしきで化石から戻した以外は何もひみつ道具を使ってない爬虫類がチンパンジーなんかより余裕で賢い」という設定を受け入れられるかどうかにかかっている。すまん、俺には無理だった。いやこんなん言うとね、「アニメになに細かいこと言ってんだ」「夢がない」って言われるんでしょうけど、いやドラえもんの見せてくれる夢って「現実をドラえもんひみつ道具で変えてくれる」って夢でしょ、じゃあ現実の部分にはリアルを求めたいんですよ。何あの人間みたいな顔つきの爬虫類?あんなんがおるなら桃太郎印のきびだんご要らんやんと思ったら途中で桃太郎印のきびだんご出てくんのな。それ食った恐竜はピイ助ほどの人間味も出さずちょっと人間の言うこと聞く態度なの。じゃあピイ助はほんとになんなんだよ。もはや恐竜じゃなくて恐竜のような何かだろ。ほんで今回気付いたのは、こういうどうしても許せない気になるところが出てくると人間ってあれもこれも気になってくるのね。他のドラえもん作品にはこんな野暮なこと絶対言わないんだけどピイ助に納得がいってないから「タケコプター五台もあるなら他の4人はスモールライトで小さくなって持ち運ぶようにして交代制でタケコプター五台を回して使うようにすれば電池の心配しなくていいだろ」とか思っちゃうんですよ。「ひとつ、いくらなんでもなリアリティライン的にNGな設定があると全部気になってくる」って現象はたぶんあるあるで、わかりやすいところでおおかみこどもの雨と雪とかもそんな感じなんだろうな、と思った。

 

その他、思ったこと。

・しずかちゃんが男まさりじゃないけど女の子女の子してない。時代を感じる。

ドラえもんは保護者感が薄くなって友達感が強くなってるように感じた。

ドラえもんの存在を認知していながらあまりのび太なんかと絡まない出木杉は勉強できるかもしれないけど将来成功しないタイプだと思った。

スネ夫ってこんないいとこなしのヘタレだっけ?もともと?あと、ドラえもん出てきたらすぐに捲られるのに挫けずにいつも自分の全力を使って自慢していくスタイルは逞しいと思った。

 

いやー、ドラえもんって面白いですね〜。以上です。