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カンニング竹山のマエケンの滑らない話の雑感

まぁ、ほぼ私信というか、私信ですらないんだけど、まぁ解釈は人それぞれというのは大前提として、僕もこの番組見ててこの竹山の話を普通におもしれえなぁと思ってたので、まぁそういう風に面白く感じない人もいるだろうなぁと思いつつも、この話の肝というか俺が面白く感じるところはここらへんですみたいなのを雑に書いとく。

まず、僕ならね、他の人に面白いだろ笑えよなんて言うつもりはないけれど、僕はけっこう何でもかんでも不用意に面白がるちょっとアレな人間なので僕に限った話で言えば、これ別に亡くなったのがマエケンじゃなくても性別問わず年齢問わず笑える話として上手に話す余地は残る構成の話だと思ってます。それは僕がこの話の肝になる面白がりたい部分が性別とか年齢とかあと外見とかとはあんまり関係ないと思ってるからです。

僕がこの話を人前でするなら気をつけて強調したいのは温度差とか、創作などで見覚えがあるシチュエーションとのディティールのズレとかになると思います。まず、マエケンのお父さんの言葉にひとつツッコミを入れるとするならば「それ相思相愛だった人に言うやつの言い方じゃん」だと思うんですよ。これ例えば、普通に竹山とマエケンが普通に付き合ってて相思相愛で「健は本当に竹山くんのことを愛してたんだよ……!」と言ったんなら普通に竹山も「お父さん……!」って普通に二人で号泣すると思うんですよ、結婚してた嫁さんが交通事故でなくなって出先なもんで連絡を聞いて慌てて家に戻ったらそこには先に到着していたお義父さんがいて、そのお義父さんが「娘は、娘は君と一緒になれて幸せだと常々言っていたよ」って言ったら「お義父さん……!うおーーーー!」ってなると思うんですけど、竹山とマエケンは別にそういう関係だったわけじゃないから、いきなりそのテンションで来られてもちょっと、って思うのは別に普通だと思うんですよ。これは別に相手が同性だろうがなんだろうが関係なく、こう落ち着いた状況で「実はね、竹山くん、これを勝手に言うのはもしかすると健に怒られるかもしれないんだけど」みたいな調子で切り出されたんならそれはそれで全然普通のいい話だと思うんですけど、いきなりトップギアで「娘は君の妻であることを誇りに思ってたよ!!!!!!!!!!」と同じ感じのテンションで来られたら、しかもその話自体初耳だったわけでしょ、「え、俺この話、この感じでいきなり来られて聞かされるの?え?」みたいな戸惑いを竹山がするのは自然で、そしてそれってちょっと客観的に見て面白いなと思う。

加えて、お父さんだってまさに突然息子を亡くしてしまったところでそういう風に取り乱しちゃったって誰も責めることなんかできないよね。なんか込み上げてきて仕方なかったんだもんね。いきなりそれを言われる側の竹山の受け止めやすさを考えるともうちょっとマイルドな入り方ができればなお良かったかもしれないけどこの状況のお父さんにそれを求めるだなんていったい誰にできるだろうか。そのことは竹山さんも重々承知している。だからこそ竹山さんは号泣するお父さんに何か下手なことを言って水を差すわけにもいかず、ただ自分だって突然そんなこと言われて(しかもみんなの前で)戸惑う部分もあれば照れくささもある、お父さんとの温度差があればこそそれらの困惑を伴った感情は加速するし、でもお父さんの気持ちもわかる、どうすりゃいいんだ、そりゃもう逃げるしかねえわな。

みたいなそういう話だと僕は思って聞いてました。もちろん、突然言われた竹山の困惑の中には同性愛への戸惑いや偏見や世間体を気にする気持ちなんかもあったとは思う。でもそういうのを持つこと自体がいけないことなんだって考えがスタンダードになるとそれはそれでしんどいと思う。人と人との関係性が思いがけず瞬間的に変容してそれに動揺するのってすごく当たり前のことのはずで、それをバカだなぁだったりわかるわかるだったり冷静になったらちょっと面白いよねだったりそういう風に包摂するのが笑いの一つの効能だったりするわけで。

ここに書いてる解釈を素直に受け入れられるような竹山のパフォーマンスの出来栄えだったかは人それぞれだと思うけど、やっぱ相方をかつて亡くした竹山がその時と同じようにマエケンの死を笑いにして弔ったのはやっぱ俺はグッときたんだよな。さすがに親父さんに無許可で話してたとは思えないし、「ネタにしていいですか?」って竹山が聞いた時に「あの時は俺もテンパってたからごめんね」って笑えるみたいな、そんな感じだったらいいんだけどなあ。あ、周りで笑ってる芸人たちはたぶん普通に最悪な笑い方をしてたんだろうなとは思う。以上です。

ファーストバイトが悪しき風習になるのは良いことなんだけど

ツイッターを眺めてたら結婚式のファーストバイトが話題になってて、あれなんか司会者が言うんだよね。新郎は新婦に対して一生食わせてやるぞって意味を込めて新婦にケーキを食べさせます、新婦は新郎の顎を外そうと思えばいつでも外せるんだからなという警告の意味を込めてアホほどでかい塊を食わせますみたいな、いやここからファーストバイトの是々非々みたいな話するんだからそこボケちゃだめだろ。つまりは司会が「男は外で稼ぐ」「女は家で料理を作って待ってる」みたいな古い価値観を前提にコメントつけてくるの時代錯誤甚だしいよねみたいな話で、それはそうだなぁと思う一方で、そもそもファーストバイトってそんな昔からありましたっけ?みたいなことを思って。俺、成人になるまでの間は(つまり10年くらい前までは)せいぜい親戚従兄弟の結婚式くらいしか出た経験なかったんですけど、ファーストバイトなんかやってるの見た記憶全然ないんだよな。で、5年前だかに自分が結婚式をすることになって、その時に初めてファーストバイトっていう演出の存在を知ったんですよ。大学の友人らの中で俺が結婚一番乗りだったってのもあって最近の結婚式事情に全然疎かったんだ。で、まぁ僕ら夫婦の場合は「俺、彼女の前で口開けたことないから無理!」って言って、いや口開けれないから文字で打って伝えたんですけど。車の前方に括り付けられてるマックスみたいなのを口に装着してる僕がキーボードで打って伝えてるんですけど、全然関係ないけどテレビでつんく♂さんがキーボードに打ち込んでメッセージを伝えてくれるところを見るたびに「つんく♂さん絶対親指シフト覚えた方がいいって、最初大変だけどトータルで考えたら絶対そのほうがパフォーマンス向上するって」って思うんですけど、まぁなんやかんやあって僕らはちょっとファーストバイトは遠慮しときますってことにしたんですけど。しかしまぁ「へぇ、最近はそんなのやってるんだ」って思ったのは覚えてんだ。なのでけっこう最近出てきたものってのが俺のなかでの、あくまで俺の中での認識なんだけど。で、ここからは勝手に想像で色々と思いを馳せるんですけど、いや今更そんな断りを入れなくても一行目からっていうかこのブログ始まった4年前からだいたいずっと想像やら妄想やらを勝手に垂れ流してるだけなんだけど、ファーストバイトが日本に初めてやってきた時どんなだったろうかって考えたらやっぱ革新的だったんだろうしそれはどういう意味で革新的だったかというとそれ以前に比べて男女がずっと対等だって意味で革新的だったと思うんですよ。だってさ、自分の父親母親だとか祖父母だとかがファーストバイトやったらって想像してみて下さいよ、まぁ見たいじゃん。もちろん個別の事例で見ればね、昔の人だって夫婦が対等に相手を尊重しあって仲睦まじくやってるる夫婦なんざいつの時代だっていたんだろうと思うけど、それは置いといてイメージで話を聞いて欲しいと思うんですけど、じいちゃんばあちゃん世代を考えてみるとファーストバイトでーすつってばあちゃんがしゃもじみたいなスプーンをじいちゃんの顔の前に突き出して生クリームまみれににする演出なんか絶対無理だったろとかは想像しやすいじゃないですか。同時にその頃なんて女が家で飯を作るのなんて当たり前で感謝する必要もなければ飯作ったくらいで偉そうにしてんじゃねえよって感覚がスタンダードだったと思うんですよ。そういうのが昔のノリだったと考えるとそれに比べてファーストバイトっていうのは随分風通しがいい演出だとは思うんですよね。ケーキをお互いに食わせ合うっていうビジュアルはやっぱシンボリックにもう女が男の三歩後ろを歩くような時代じゃねえんだぞという感覚を視覚的に表現できてるとは思うわけです。めちゃ好意的に解釈してみれば「男は稼いで食わせる」「女はおいしい料理を食べさせる」というのもファーストバイトなんてけしからんって考えの年寄りへのエクスキューズというか建前にすぎなくて、あの演出が雄弁に語ってる本質って「女だからっておとなしくしてると思うなよ」に僕にはやっぱり見えるんですけど(少なくとも僕が見たファーストバイトってだいたいそんな感じ)。

で、そろそろエクスキューズの部分を外していいんじゃない?って意見はまぁわかるんですよ、男が稼ぐのが当たり前じゃないし女が料理するのが当たり前って時代でもないし、もうあの司会者の下り要らなくない?って思うのは自然だしもっともだと思うんですけど、加えて「そういう価値観が前提にあるのが嫌だからファーストバイトは私はしない」っていうのも本人の勝手だと思うんですけど、ファーストバイトを忌避する感覚の理由に「男尊女卑の名残りだから」みたいな考えがもしあるんだとしたら、それは全然違うくないか?って思うんですよ。むしろ真逆だろ、みたいなことを思って。で、似たような感覚を最近どっかで見かけたなと思って、なんだろうなーって考えたら恋愛至上主義の是々非々の話題だったんですね。恋愛至上主義みたいなのを嫌悪する人の中には女が男にモテようと媚びるのはおかしい、女性の自立を妨げる男尊女卑的な思想だみたいな考えを持ってる人もいてたりするんですけど確かに今となってはそういう側面が強いのかもなーとは思うんです。思うんですけど、恋愛至上主義を作り上げた何十年だか前から始まった自由恋愛の機運は果たして男尊女卑的な思想から始まったものだろうかみたいなことも同時に思ったんですよね。だってそれより以前のお見合い結婚が当たり前の時代なんかは女ってそもそもモノみたいに交換されてしまう存在だったわけで、それに比べたら自由恋愛の時代は「女は主体的に男を自分の意思で選ぶぞ!」ってノリだったと思うんですよね、もちろん雇用環境とかジェンダー的役割分担とか女性の方が大変なことは今以上にアホほど理不尽に存在していたと思うんですけど、それでも「相手を値踏みし合う自由恋愛という領域においてだけは女だって男と対等だぞ!」っていうのが自由恋愛が推奨される機運の中心にあったんじゃねえかなって俺は想像するんよすね。

この話は別に、「だから」という理由付けにしてファーストバイトは良いもんだとか恋愛至上主義は良いもんだとか言いたいのでは勿論ぜんぜんなくて、当たり前になって欲しいことが当たり前になったら、それはもう当たり前だからありがたみなんか全然感じなくなって、ただ悪いところだけが目につく形で残るよね、みたいな話。ファーストバイト恋愛至上主義も俺だって無くなってくれたって全然一向に構わないことには違いないんだけど、もし無くなることになったとしてもそれは単に古臭い悪しき風習なのではなくて、これからも僕らが続けていかなくてはならないステップバイステップのとある時代のひとつの形だったのかもしれなくて、その功績があったからこそ今があるのかもしれなくて、そしてその役割を終えようとしているものなんだよなみたいな一定の敬意は払いたいなみたいなことを思うんですよね。今っつうのはきっと、あんなことがあってこんなことがあって色んな全部があってその上にある今だし、そういうことを考えずに「今の時代にそぐわない」という理由だけで過去のものを蔑ろにしてしまうのはこれまで積み上げてきたものを全部ひっくり返してしまうことと同じかもしれなくて、そうしてひっくり返すことを当たり前だと考えてしまう社会は、簡単に悪い方にひっくり返されてしまうんじゃないかなみたいな危惧もあって。なんか、そういうことを考えたわけです。以上です。

2017年最初の洗髪はボディソープでした!!

あのー、僕結婚して今回で5回目くらいの正月だったんですけど、いつからだったかな今回で3回目くらいかな元旦は嫁の方の義実家に泊まりに行く風習になってきたんですけど。結婚する以前とその直後とかは、もちろん向こうの家にお邪魔する機会は作ってはいたんだけど、泊まるってとこまではなかなか踏み切れなくてですね、僕もまぁあんま勝手のわからん家にいるのも落ち着かないし向こうだって娘が「こいつええで~~~、アリやで~~~」って連れてきただけのよくわからん男を家に置いとくのも財布の金抜かれないか不安だったりとかあると思うんですよね、「なにその1万円以上入ってた時は2千円まではバレないみたいな自分ルール!?」みたいなのあったと思うんで、いや抜いてないけどね、なにぶん僕らの住む家から電車で1時間と少したかだかの距離だったのもあってそれまでは義実家に伺っても日帰りみたいなのが常で、別に仲悪いとか本気で嫌だとかでは全然ないんですよ、ただなんかお互いに気を遣い合ってる感じもアレだしね、金にはなってないけど一生懸命で忙しいカメラマン志望としがない事務OLのカップル的に言えば「私たち、あんまり一緒にいないほうがお互いラクなのかもね」的な、あるいは飼いやすいんだけど懐きはしないんだよねみたいな、互いが互いにハリネズミかそういう種類の猫みたいな感じなもんなのでこれくらいの距離感がお互い一番気楽なのかなと思ってやってたんですけど、ここ何年かでちょっと考えを改めて泊まりに望んでたわけなんですけど。それで、年々、たぶん向こうも俺も少しずつ懐いてはきてるんだよね、そんな肩組んで二人で電信柱にタックルするみたいなそういう陽気な打ち解け方ではないよ。どんな打ち解け方だよ。傍から見ても全然わからないかもしれないけど、いやほんと義両親すごいシャイな人なんだ。お義母さんとか、たまに間違えて二人っきりになったらちょっと好き同士の中学生みたいな沈黙になるし、お義父さんと二人になっても会話はするんだけど兄はすべてを知りつつそれを言わないし弟の方も実はすべてを知ってるんだけどそんな兄の思いを汲んで知らないふりをする10年ぶりに再会した腹違いの兄弟みたいな感じになるんですよ。ぎこちないんですよ。表面上はすげえツーカーというか話を合わせてるんですけど、翼くんと岬くんみたいな胡散臭さがそこには流れるわけです。そんな義両親なんですけど、そんなところから始まった僕達なんですけど、やっぱ数年スパンでやってると、それなりにお互い少しは気を許せるようになってくるわけです。それは、そんなホントにポジティブなものなのか実際のところはよくわかりません。「こいつとの付き合いは今後10年20年と続くんだからいつまでもよそよそしくしてたってかったりいだけだな」みたいな損得感情が互いの胸の内に発生してるだけの可能性だってあります。しかし、それでもいいと思うんです。そういうところから出発していつか本当に何か名前があるような関係性になれれば十分すぎると思うので結果オーライではあるわけです今年の正月はそういう意味ではここ何年かの集大成でした、ギュッと距離が縮まった。夕方くらいにお邪魔してお酒を互いに注ぎ注ぎ晩酌と晩飯が並行して始まって、僕も向こうも結構楽しそうで夜は更けていったわけですけど、それで「ズイショくん、お風呂どうする?」なんて言われてね、俺はそれに対して「じゃーすいません、頂きます!」なんか言ってね、それで寝間着と替えの下着を持って風呂場に出向いてシャワーだけ頂くわけですけどそこで僕ってやつは初めて気付くんですよ。僕、この家でお風呂頂くの初めてだったって。そうだ、去年まではさ、そんなにお互い距離感が詰まってなかったからさ、俺もなにせ人の家が落ち着かないタイプの人間なもんだからさ、どうせ起きたら帰るだけだし無理してここでお風呂もらわなくたって家に帰ってから入ったらいいやと思って歯を磨くのに洗面台を借りることはあってもお風呂入ったの今年が初めてだったんですよ、それでまぁお風呂もらうつもりも別に今年だって来る段階では全然なかったから流れでお風呂に入っちゃったもんなんでそれに気づいたら急に恥ずかしくなってきちゃって、さっさと用だけ済ませてあがろうと思ったんだけど用意も何もしてないから頭を洗うにしても身体を洗うにしてもその家の浴室に置いているものを使うしかないのね、それでとりあえずボディソープで身体をさっと洗って流してさ、あとはシャンプーだけしてあがろうと思ったんだけどパって見たら、ちょっと異様な光景なのね。例えば我が家だったら、K-1ファイターくらいの髪の長さしかない俺は市販の安い何でもないシャンプー使ってて、割りとロングで綺麗な髪してる嫁さんは俺あんま把握してないけど俺が使ってるのよりは少し良いお値段のするようなシャンプーを使ってるわけですね。コンディショナーの説明を同じように挟むのかったるいんでそこは濁しますけど、つまりだから俺の分と嫁の分とで二つのシャンプーがあるのが例えば我が家の浴室なわけですけどね、それでいうと義実家の浴室は、嫁が使ってるような高いシャンプーひとつしか置いてないわけなんですよ。すっかり忘れてたーすっかり忘れてたよなー、犬。

犬「わん!!!!」

今年もよろしくな、犬!!

そうなんです、すっかり忘れてたんですけど、僕の義父、毛髪薄いのを吹っ切ってスキンヘッドに舵を切ったタイプのスキンヘッドだったんですよ。だからお義父さん用の気軽に使えるシャンプーがこの浴室、この宇宙には存在しないんですよ。俺はこの宇宙の真理にフルチンで気づきましたよ。だからシャンプーはお義母さんが使ってるちょっと良さげなシャンプーしかなくって、ここでなんか調子こいて風呂まで頂いてしまった自分を後悔し始めるネガティブセンサーが働いてきてよくわからなくなるわけですけど、我が家でもシャンプーに関してはお互い住み分けが出来ていて、俺のシャンプーとお前のシャンプーがすごい明確に屹然としているわけです。縄張りじゃないけどそれに近い感覚があって。例えば猫ちゃんなんかだと自分の縄張りをマーキングするために壁に肛門をこすりつけたりスプレー状の尿を撒き散らしたりするわけじゃないですか、そのイメージがあるので僕にとって誰かの縄張りとかパーソナルスペースを犯す行為というのはそれくらい失礼な行為なんじゃないだろうかみたいな意識が働くわけです。そうなると、もう使えませんよ、わかんねえけど迂闊にこのシャンプーを使って、それを以って肛門こすりつけられたとか尿を吹きかけられたと思われたらどうしようと思ったら、もうそこにあるシャンプーは使えませんよ。それで僕は仕方なく、2017年最初の洗髪、ボディソープで頭を洗ったのでした。頭を洗ったのでした。ボディソープで頭を洗うと基本的にバサバサなるからね。バサバサの頭で何が言えるだろうをモットーに今年も頑張って何か毒にも薬にもならない文章を書こうと思います。以上です。