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今クールのテレビ視聴についての進捗報告

最近ブログ書いてないなーと思ってなんか書こうかなと思ってテキストエディタ開いたけどまぁまぁ眠いのと書きたいこと特にあんまなかったのと今、頭を使いたいみたいな情熱がちょうど完全に皆無なのですごくなんでもないことを書くことにしました。それが掲題です。またの名を日記です。

なんといっても真田丸がクライマックスを迎えていて超面白いです。こんなに毎週面白いなんてちょっと嘘でしょってくらい毎週楽しみにしています。超見てるけど、Twitterが盛り上がりすぎてて、ちょっと考えたら思いつくギャグとかツッコミはだいたいみんなが早々に終わらせてしまってるのでブログを書く気が全く起きないのウケる。大喜利とかだったら喜んで混ざると思うのでズイショさんと真田丸の話をしたい人はツイッターで構ってやってください。

あとは逃げ恥ね、これも面白いですね。なんか俺の生活サイクル的に22時ってすげえリアルタイム視聴しにくいってことが今更ながらわかってきたのでマイペースに録画で見てるんですがこれも楽しいですね。言うてる間にぼちぼち折り返し?どういう感じになるんだろう、楽しみですね。ここからガッキーのかわいさを2,000字くらい語るのは実に容易いのですが以前にもうやってるのでそちらをご確認ください。

あとはドラマ何見てたっけな。あ、ちょっと消化遅れてるけど校閲ガールは普通に見てる。まぁお仕事ものとしては無難にまとまってて面白いのではないか。あと演じてる役込みで観るとこのドラマの石原さとみが俺は一番かわいいかも。いいよねー、こういう子。(このまんまのこんなやつはいねーよというのは大前提として)リアルでもこういう子って結構構いたくなってしまう。あと、編集の貝塚さんがなんだかんだ言って面倒見よくって超良い人だと思いませんか?石原さとみがド面食いなのは仕方ないにしても、本田翼に袖にされるのも仕方ないにしても貝塚さん仕事ばっかであんまモテないみたいな感じのキャラにさせられてるのおかしいだろ、貝塚さん超良い人じゃん。優しいだけじゃだめなんですか。あと菅田将暉と本田翼、逃げ恥に食われてせっかく同棲する役なのに全然話題になってなくて想定外すぎてびっくりしてるだろうね。

ドラマはそんなもんかなぁ。あ、『IQ246』は3話くらいでもういいやってなっちゃって切りました。いや、あの織田裕二の感じ、面白いか面白くないかでいうと全然面白いんですよ、何やってんだよーって笑おうと思えば笑えるんですけど、一応「やりすぎだよー」ってテレビを指さして笑うことはやろうと思えばできるんですけど胸に手をあててじっくり考えてみると、世界陸上の演技してない素の時の織田裕二の方がもっとやりすぎてるんですよ。日曜21時のドラマで観る演技としてはもう250%やりすぎてるんですけど、織田裕二として考えると世界陸上を思い返すと、相対的にそんなにやりすぎてないんですよ、裕二にはまだその先があるのを俺はすでに知っちゃってるから。そこがちょっと残念ですよね。せめて織田裕二と演技合戦する感じでゲスト犯人もやりすぎてくれたら神ドラマに化けてた可能性があったのに。これはもう全面的に一話ゲストの石黒賢が悪い。あと石黒賢ホワイトアウトの時もなんか石黒賢が悪かったからな。もう振り返ればつながりはやめにしないか? ただ今後注目したいのはこのTBS21時枠ですよね、今回の織田裕二しかり99.9の松潤しかり下町ロケット阿部寛しかりでTBS日曜劇場はやりすぎ枠なんだってブランディングはだいぶ固まってきてると思うんですよね。1月からの新ドラマの主演がキムタクらしいんで、ビューティフルライフ以降日曜劇場といえば俺だろみたいな気概はもうそろそろ脇に置いてね、肩の力抜いて、「やりすぎ枠の日曜劇場にちょっとお邪魔します」くらいの感じでキムタクがめちゃめちゃやりすぎてくれたら嬉しいな、とかは思いますよね。あと俺はたぶん土屋太鳳の悪口をかなり言えそうな方だ、と自分の持つ力に気付き始めた悪役子飼いの少年みたいな顔つきに最近なってきたんですがとりあえず今日は割愛します。

あとはアニメですねー、ハイキューは惰性で見てるつもりでいたけど、やっぱなんだかんだ結構楽しんで見てる。だって作者の考えてるゲーム展開がマジで熱いんだから、それをアニメでがっつりやられて面白くないわけがない。原作では白鳥沢以降がっつりした試合描写がなくて、そろそろ始まるところではあるのだけど、青葉城西の時も、白鳥沢の時も、「もう無理っしょ、もう最終回にするしかないしょ、もう次の試合は嘘のようにボロ負けするしかないっしょ」って感じなので、そのハードルをどう超えてくるか超楽しみ。逆に言えば試合じゃないシーンはアニメで観るのまぁまぁかったりいので観なくていいんじゃないかって気もする。

あと斉木楠雄のψ難のアニメも面白いですねー、正直原作面白く読んでるけどアニメにしたって仕方ねえだろーって思ってたんだけどナメてたね。フラッシュアニメくらいのテンポでとっても見やすく面白いですねー。あと漫画で知ってたけど、この漫画って基本的にみんないい子だよね、優しい世界だよね。楠雄くんはなんだかんだ言いつつめちゃめちゃ面倒見いいしね。平和でほのぼのでそういう部分にありがたみを感じるようになったら俺も歳とったなーって感じするよね。あと、楠雄くんがチートと見せかけて、行動が予測できない燃堂とか、照橋さんの美少女力とか、灰呂の圧倒的人望とか、局所局所で見ると十分に楠雄くんに対抗できるスキル持ちが多いのもバランス良いよね。作品として十分面白いのと同時に「あ、そこにそういうキャラ置いたらこういう時にこう使えてネタひとつできあがるのか」みたいな勉強にめちゃめちゃなる。

ユーファはもちろん観てる。僕は2000年以降のすべての女アニメキャラの中で黄前久美子ちゃんが一番好きなので俺はもうダメです。かわいすぎる。相手によって声色を調整してる八方美人腹黒な感じがマジでかわいすぎる。麗奈はどうでもええけど、麗奈と喋ってる時の久美子ちゃんが一番フラットなかわいい声を出すので久美子ちゃんには麗奈が必要で、つまり俺にも麗奈が必要です。一番嫌いなのはぶっちぎりで最近部に復帰できたフルートのポニテの2年です。部活やめる時に外のやつにも「やめようぜ」って扇動してそれであの調子で戻ってこようとか自分大好きで悩みなさすぎる。ああいうやつ嫌いだし、ああいうやつをありがたがる鎧塚さんにもイライラする。みたいな感じも含めて、ああ高校生ってええやねーとなるので良い。

3月のライオン、楽しく観てる。『orange』によって一撃で花澤香菜の声も顔も大好きな病にかかってしまったので、それだけで十分すぎるほど楽しむことができる。まぁ、それはそれとして、原作は一応コミックスでざっとは読んでたつもりだけど、こんなエモかったっけ。俺がきしょいので極力感じないようにしていただけで、まぁこれくらいエモかったんだろうな。毎週エモすぎて「ひえっ」て声が出る。作品としてどうダメだって話でもないんたけど、なんかリアリティライン的にどういうつもりで見ればいいのかよくわからんなぁ~みたいなことを漫画で読んでる時にずっと思ってたんだけど、たぶん日本には(というか世界には)将棋連盟って一つしか存在しないので、やっぱりあの世界は全く現代とは異なるパラレルワールドなんだなと割り切ることでグッと見やすくなった。二階堂がNHK杯の解説で桐山に熱いエールを送るシーン、たぶんニコニコでめちゃめちゃMAD作られてるんだろうな。二階堂は大変なものを盗んでいきましたとか、二階堂のグルメレースとか。たまにエモすぎて本気で何言ってるのかわからんかったりするので羽海野チカってすげえんだなーってことを初めて知りました。

ジョジョもまぁダラダラと観てます。これもいよいよ終盤って感じですね。こんな短かったっけって気もするけど、むしろそういう風に思わせるアニメがすげえって話なのだろうか。なんかアニメで見返すと、この話けっこう怖えなみたいなのがけっこうあって、漫画で読んでるときは「ジョジョだ」って感じで怖いとか怖くないとかよく考えたらあんま考えてなかったところがあるので、そういうのを映像でじっくり見せられるのは楽しいなみたいな感じなのだと思う。

あ、クラシカロイドは、本編飛ばして音楽だけ聴いてる。CDはたぶん買うか借りるかする。1.1倍速で見るとちょうどいいので、これがEテレのちびっこから老人まで見れるテンポかなぁなどと思うところはある。あ、あと舟を編むドリフターズも観てるけど、「あのシーンよかったね」とか言われても聞こえてないふりをするか目を合わせないかする可能性があるくらいの感じでしか観てません。

こんなもんかなー、あ、あとはそうか、スーパーヒーロータイムはちゃんと観てます。ジュウオウジャーがわりと真剣に面白くて、僕、自分が子供の時に観てた特撮戦隊がなんなのか全く覚えてなくて、合体ロボとか買い与えられてた記憶はあるので何かしら観てたのは間違いないんですけどこんだけ全く覚えてないってことは何の思い入れもなくて幼稚園のほかのみんなが観てたとかの理由で話合わせるために観てたとかの可能性があります(嫌な子供だな)。そんな俺なんかが「俺が子供の頃にこれ観たかったなー」って思うくらいジュウオウジャー面白い。なんかこう、いろんなことを教えてくれるので素晴らしいですね、スーパーヒーロータイムってのは。特に6人目の操が追加されてからはその操のめんどくさい性格がいい感じに化学反応を起こして、多様性とか人それぞれとか共存共栄ってテーマががよりわかりやすく物語のなかで無理なく伝わる感じになりましたね。つながることの怖さとつながることの素晴らしさを天秤にかけようとする中ボスの問題提起も面白かったし、いやー子供がどんな感じでこの物語を観ているのかサンプルが欲しいところです。2月終わりだったと思うのでぼちぼち終盤戦、噂ではクリスマス商戦が終わったら子供が離脱しようが知ったこっちゃねえと言わんばかりに容赦なく鬱展開ぶちこんでくるという話なので今回は楽しみです。大人になって初めてちゃんと観たニンニンジャーはそういうの全然なかった(けど、こいつらはたぶんそういうのないだろということは半年過ぎた段階でわかってたので問題はなかった)。人間とジュウマンという種の違いからのすれ違いなみたいな重いのやってくれ。希望としては保健所の殺処分にショックを受けるジュウマンたちが見たいんだよ俺は。白があざといけど屈せざるをえないくらいかわいい。21世紀のさとう珠緒と言っても過言ではない。それ褒めてんのか。仮面ライダーエグゼゼイドはね、まだまだ始まったばかりなのでよくわからんですね。ゴーストがあかりちゃんと御成のダブルヒロイン体制を強いていたのに比べるとヒロイン一人は存在感が薄くて、序盤から複数登場しているライダーたちの男同士の群像劇感が前に出ていく感じなのだろうか、大人になって鎧武からライダー見出した新参なので、一番最初に観た鎧武と同じノリだなぁってな感じで見やすくはある。ヒロインがうざい感じがすごくて、ツイッター見ても「エロい」って言ってる人以外は「うざい」って言ってる感じでちょっとだいじょぶかなーって感じなんだけど真田丸のきりちゃんがいるので、作中で30年くらい時間が経過すればあのヒロインも人気者になる可能性ワンチャンある。ちなみにあのヒロインの女の子、演技がまぁまぁ下手で「意味もなく佇んでいてはいけない」みたいな意識が先行しちゃってるのかな、身体に意味を持たせようと強張っちゃってちょっと走ったりしゃがみこんだりする動きがいちいちうるさくて気が散るので、監督さん?演出さん?誰でもいいけど早く直してやっくれよん、と思う。でもエグゼイドにはもうひとり、ゲーム会社の社長でライダーというもうひとり壊滅的に演技ヤバいやつがいて、こいつはもうなんか手遅れなんじゃないかって思えるレベルであかん。体幹が腐ってる。あいつが立ってるだけで笑ってまうし腰掛けてるだけで吹き出してしまう。一挙手一投足が全部なんかおかしい。身体をコントロールする神経が配線ぐちゃぐちゃになってる。変身のポーズも完全になんかおかしい。そのうえなんか自分は演技できてますよ風のオーラまで感じる。これはもう手遅れかもしれない。ただ時間はまだ残されている。直すなら今のうちだ。頑張れ頑張れ。ただ、お前はキャラ的に中盤で死んで途中退場する可能性が全然あるから、時間との戦い、あいつの演技下手を直すのは間に合うのか間に合わないのか、みたいな。そういう役者の1年を通しての成長を楽しむのもスーパーヒーロータイムの醍醐味と聴いておりますのでがっつり楽しんでいきたいと思います。ゴーストに出演してたアラン様は御成のトレースが完璧だったりあの完全に意味わからんおばあちゃんのくれた緑の私服のひらひらさせながら動く所作とか完全に美しくどう見ても演技うまかったのでこの調子でどんどん売れてくれ。佐藤健にしても菅田将暉にしても松坂桃李にしても、ずぶの新人としての1年を見守った役者さんが押しも押されもせぬスター俳優になってくの絶対めちゃテンション上がると思うんで俺も早くそれを味わいたいんじゃ。なのでとりあえず竹内涼真くんを応援しつつ、俺はスーパーヒーロータイムを見続けるんじゃ。

まぁなんかそんな感じです。あとはファミコンミニの進捗報告もしようと思ってたんだけど手が疲れたのでまた今度します。以上です。

20161117

顔見知りでも自分が一方的に知っている人でもいいのだけれど、「自分より少し先を歩いていってくれることがどれほど頼もしいことか」って感覚を覚える「少し年上の人」っていうカテゴリ枠がきっと誰しもの人生のなかに存在してるみたいなことを日頃ぼんやりと思っていて、僕にもそういう人がたくさんいるしみんなにもきっとそういう人がいるのだろうと思っていて、ただでさえ生きてるだけでも十分すぎるほどかったりいのにそのうえ加齢も待ったなしっていう踏んだり蹴ったりのベリーハードモードの世界にGOD's CHILDも僕も和田アキ子も堕とされた。もしもこれがチュートリアル的なイージーモードだったら寿命は同じだけど体力も肌の張りも死ぬ直前まで全盛期のままで、残りHP5でステータス画面が真っ黄っ黄になっても元気に飛び膝蹴りを繰り出すハッサンみたいにきっと楽しくやれたのに、現実を生きる僕らはどうしたって老いて朽ちていく。羊水のなかで過ごした十月十日、僕はセレクトボタンを連打し続けたのに、僕が生きるのは老いシステム搭載のベリーハードモードであるという宿命はついぞ動かなかった。だから僕には「少し年上の人」が必要で、30歳もなかなか悪くないぜと宣う人が、不惑と言ってもまだまだこれからだぜと言ってのける人が、60歳も案外捨てたもんじゃないぜと言ってくれる人が、僕の生きるその瞬間瞬間にいてくれればいてくれるだけ困らない。じゃあもう少しだけ生きてみようかなの繰り返しの果てに終わってみれば悪くない人生が待っていると僕は信じていたくって、そう思わせてくれる人を見るにつけ、僕も人にそう思わせる歳の取り方をしたいもんだなと思ううち、とうとう僕は僕だけで完結して僕でいることができなくなってしまった。僕の前を歩く人がいて、僕の後ろを歩く人がいて、そんな彼らなしに僕がまっすぐ立っていた時がおぎゃーと叫んでから向こうこっち、果たして一瞬だってあっただろうか。いつからかそう考えてしまうようになったから、どうしたって人の死は堪える。会ったことがあるとかないとか関係なく、足元が思いの外ぐらつく。きっと多くの人にとってそんな存在であったろう人の訃報を耳にして、なんかそんなことを改めて考え込んでしまった。それでどうしても落ち着かなくて書いた。勝手なことを言えば、あなたと一緒にもっと歳を取りたかった。ご冥福をお祈りします。以上です。

「生理的にダメ」という主張が現状大したことあるから許容できない

今から出かけるので手短です。

僕はこの市長の態度を支持する。あと、この市長のアイコン、構図の問題なのかわからないけど、見てるといつもエヴァ初号機を思い出す。

「生理的にダメ」が即アウトとはならずに一旦発言したことそれ自体は許容される世界というのは「生理的にダメ」という主張がそのまま正当化されず暴力としても機能しない世界だと思う。「生理的にダメ」という発言が許容できない世界というのは「生理的にダメ」という発言が場に圧倒的でクリティカルな影響を及ぼしてしまうと考えるからこそ許容できないのだろう。結局「生理的にダメ」が当事者にとっては一大事でも、社会的に見たときに大したのない「たまにいるんだよねそういう人」で済む話であるなら、きっとそんなに目くじら立てる必要もないのだ。

であれば、その程度の主観的な発言が個人から出たところで大勢になんら影響のないしっかりとした議論の場、というか、そういう議論をどこでもできるような下地を作っていきましょうよ。というのが紫色の市長の考えているところなのかな、と僕は想像した。

そこで排除しなくてはならないと考えるしかできないのは、現状の議論の下地がそれだけ未成熟で脆弱、あるいはそこらへんはクリアしているのだが十分に浸透していないということなのだと思う。もちろん、そのような状況を形成する義務がマイノリティの側にあるわけでなし、みんなでやっていかなくてはならんことなので、誰の努力不足を咎めたいとかはない。

ただ「こんなこと言うやつをテーブルに座らせるわけにはいかない」という現状だとまだまだ先は長いよね、という話だと思う。そういう主張をするなと黙らせたところで、そのような発言を是として暴力として行使することすら肯定する別テーブルが出来上がるだけだ。全員を許容できて全員が座れるテーブルを作っていく必要があるよね、って話だと思った。もちろんそれは「生理的にダメ」という立場そのものを許容するのではなく「そういう人はあなただけじゃなく他にもたまにいるのだけれどね」とみんなで説得できるようなテーブルである。

「現状、許容することは難しい」という話であれば、それは僕ももっともだと思う。ただ、今後も排除し続けるべきだ、ただ粛々と排除していけば良いという態度は、それこそが議論の放棄であり「自分がよけりゃそれで良い」という態度にほかならず、そのような態度は別の勢力の「自分がよけりゃそれで良い」という態度にそのうちしてやられてしまうのではないかと危惧する。

「漸進」という言葉を大事にしたい。ステップバイステップで考えたい。今、目の前から汚いものを即座に見えなくしてしまいたいという考えの先にあるのは、汚いものが絶えず発生し続ける世界で、汚いものがあんまり発生しない世界ではないと思う。以上です。