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幽霊いるいない

なんか書きたいけど書く事ないなーって思って、でもこういう気分になるのもなんか久し振りだったのでせっかくだしなにか書くかーと思ってテキストエディタを開いた。それで、なにしゃべろっかなーと思ったらTLで幽霊いるいないみたいな話をしている人がいたので俺もなんかしゃべろーって思った。

幽霊はいてもいなくても別にいい立場で、厳密には僕にはそういうものがあると考えないとどうにも説明できない経験が2,3あるのであれなのだけど、その経験をもって積極的に幽霊はいるんだと主張するつもりはないし、幽霊いるという前提を人と広く共有したいという気持ちもない。ただ、そういう話が受け入れられそうな、もっと言えばウケそうなそういう場所ならその経験談はしないでもない。現金な性格なのである。そしてブログは不特定多数が目にする場所で、そういう話をするべき場所ではないという考えなので、ここではその経験談はしない。気になる人がいたらめちゃ面白く喋ってやるので聞いてみて下さい。

なので、僕は基本はいないと思うけどねーという立場で、まぁでもいると考えたほうが都合の良いひともいれば、逆のひともいると思うので、そこはある程度不可侵でいきましょうよって考えだ。たまに見えるってひと、そういうのわかっちゃうんだよね~ってひとがいるけど、そういうのもまぁ、そうなんだと思うことにしている。友人の家に数人であがりこもうって時に「ここ絶対いる、やばい無理」って帰っちゃうひととかも今まで生きてきて何人か見たことあるけど、まぁ本人がそういうなら無理に引き止めるのもかわいそうだよなぁくらいに考えている。だから、それはいいんだけど、そういうひとが調子こくというと言い方悪いけどもただそういうのを嫌がる嫌がらないという個人の感覚からはみ出て匂い鑑定士みたいな顔つきになってくるとオイちょっと待ってくれよと思わないでもない。

例えばそういう普段から見えるキャラのひとが旅行先で肝試しみたいなノリになった時に「ここはいないからだいじょうぶ」みたいなことを言い出す時である。いや、なんでお前のジャッジがそんな絶対みたいになってんの?って思う。こっちとしてはさ、お前が「やだ、ここいる、ヤバイ」とか言うからさ「俺は感じないからいない」っていうのを飲み込んでさ、そうなんだ~って言ってるわけじゃん。なんでお前はそんなに力強く「いない」って言っちゃうわけ?って思う。わかんないけどさ、インフルエンザに色んな型があるみたいにさ、幽霊にもお前が感じやすいタイプの幽霊と感じにくいタイプの幽霊がいるかもしれないわけじゃん。その可能性を考慮しないで「いない」って言い切るその神経がわかんねえわと思って、それだったら結局さ、お前が主観的にいると思ったらいて、いないと思ったらいないってこと? それで言えば俺にとっては主観的に幽霊はいないってことになるんだけど? それじゃお前が困るっていうからあいだをとって「いるかもね、感じる人にとってはいるかもね」ってことにしてるんじゃん。お前いま、いないって言ったよね。それはつまり今誰かが「いる」「感じる」って言い出したらお前はその人を嘘つき呼ばわりするってこと? こっちはお前にそれをしなかったのに、お前はなんの悪気もなくそういうこと他人には言うつもりなんだ、と思うんだよね。

だからなんか、幽霊いるいないって話と、目の前の自称霊感持ちがどれくらいの霊感持ってるかってのは全然別問題だし、幽霊いるかもねっていうことはお前の感覚を信用するってわけじゃないから。そこは別途判断していくし、それはお互いの信頼関係のなかで握っていく部分だから、そこで自分の感覚があまりに正しい前提の態度でこられると、ちょっとそれはお前に都合よすぎないかみたいな。なんかそういうことを思うんですよね。じゃあ暇な時間なくなりそうなんで。あとこれ、幽霊の話じゃなくね?以上です。

2016年7月版好きな映画10選

ツイッターのTLでよく遊んでくれる人と「こういうの考えるの楽しいね~」ってキャッキャしてたらなんかすごくたくさんの人がハッシュタグを使っている状態になっていてそれを眺めているだけで楽しい。誰かtogetterにまとめてくれと私は言い続ける。私の二の腕には他力本願と書いたタトゥーが彫ってある。

で、まぁこの遊びの面白さとか奥深さは色々あるんだけど全部置いておいて僕のチョイスを紹介するだけのエントリです。一応暫定版みたいな言い方をしているけど、これなかなか動かないんじゃないかと思う。今日はどうしてもロビン・ウィリアムズについて語らなくてはならない気分だな~とかそういう個人的な気分で一つ二つの変動はあるのかもしれないけれど、基本的に俺はこういう物語、こういうテーマが好きなんだ!!という方針がガチガチなので、思い出補正もなんのそのの勢いで明確にここに挙げた作品の上位互換じゃないともう枠がないぞ、みたいな。良い映画、面白い映画、これからもいっぱい出会うだろうが、「そうなのだ、私にとって世界とは、こうあって欲しいのだ、私にとっての人と人とはこういうふうにつながるものだと信じるべきものなのだ」と心から思えるような物語にはこれからどれだけ出会えるだろうか。案外いっぱい出会えるのだろうか。それはそれで嬉しいな。

10個全部僕絶対どっかで泣くやつ。調子いい時はずっと泣いてるかもしれない(それ、人として調子悪い時じゃない?)。ズイショさんと会う予定があって、「でもズイショとしゃべることあんまねえな」って時にこれらの映画のどれかひとつを観ておいて「あれ観ましたよ」って言ったら僕たぶん1時間くらい一人で良さを喋り続ける。そんな僕の好きな映画10選。

 

ザ・フォール/落下の王国

ザ・フォール/落下の王国 特別版 [DVD]

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事故で下半身不随となり生きる希望を失ったスタントマンが、自殺するためのモルヒネを調達するために同じ病院に入院するひとりの少女を手懐けようと思いつきの作り話を語り出す。物語ることは、希望になりうるか。語り手にとって、聞き手にとって。なぜ私達の口はただ目の前に転がる事実を語るに留まらず、ありもしないどこか遠い世界の空想を語りたがるのか。そこに一体なんの意味があるのか。きっと死ぬまで黙っていられない僕にとって、言葉の空虚さへの絶望は日常的なものではありますが、そんな日常を送るこの現実世界にこの映画があって本当によかった。そう思える映画。

初めて見たすぐ後に感想文を書いている。ラスト30分くらいめちゃめちゃ泣く。

 

ビッグ・フィッシュ 

陽気な法螺話でいつも人々を楽しませる父と、それを疎ましく思う息子。生きることとは物語ること。またそんな話かいな。いや、本当そういう話ばっかです。そう考えたらあんまちゃんと説明しなくていいような気がした。

これは、初めて見たの結構前なんですが、そうじゃない時にうろ覚えで感想文を書いています。やっぱラスト30分くらいめちゃめちゃ泣く。


ゼブラーマン

ゼブラーマン [DVD]

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エンディングで流れる『日曜日よりの使者』を聴くコンディションを整えるための映画といっても過言ではない。「夢は叶う」とか「諦めるな」とか「つまらない日常は変えられる」とか、まぁ表面的に言えばそういう話ではあるんですけど、荒唐無稽なストーリー展開はそのようなただポジティブな思想をそのままに受け止めるには流石に無理がある。そもそも作中のヒーロー・ゼブラーマンが作中作のテレビ番組のヒーローが元ネタであることを踏まえるに、むしろその語る内容がどうとではなく、日常の現実のなかで語り続けること夢を見続けることの大切さを書いた映画だと僕は認識している。

これもうろ覚えで感想文書いている。ラストのセリフ、暗転からの「♪このまま~」で絶対泣く。調子良いとほかのシーンでも結構泣く。ボロボロになっても頑張るシーンってベタだけど結構泣く。この映画への思い入れが強すぎて2作目が観れない。未だに観てない。

 

ノートルダムの鐘

ノートルダムの鐘 [DVD]

ノートルダムの鐘 [DVD]

 

醜く生まれたノートルダムの鐘つき男が外の世界に飛び出す話。オープニングのテンション上がりっぷり、これから最高にエキサイティングでだけどとても大切な物語が始まる予感がハンパない。このあとTHE有頂天ホテルの話の時にも出てくると思うんだけど、甲本ヒロトの『天国生まれ』の歌詞に「叶わない恋もある 諦めてしまえ 叶わない夢はない 諦めるな」という一節があるんだけど、この歌詞を地で行っている話。この前も見たんだけど、なんかブログエントリ書いてないのでそのうち書く。最近のディズニーは攻めてるとか言われて久しいですけど、この映画、実は色々めっちゃ攻めてる。ルッキズム、人種差別、人種差別というかミソジニーじゃんみたいなところとか、ていうかこいつラプンツェルに先駆けてめっちゃ毒親だよねとか。四季がミュージカルやるらしいのでそれも楽しみ。観に行きたい。オープニングで泣くし、オープニングの直後、カットアウトしないでノートルダムの景観を斜め俯瞰で見渡したところからそのままカメラアングルが下に降りたらそのまま町並みのシーンになって物語が始まるところも泣きそうになる。一瞬たりともこの物語から心を離させんぞっていう圧が常にすごくてだいたい感動してる。ここは聖域だーでもなんかわからんけど泣く。

あとこれも二作目観てない。

 

トゥルーマン・ショー

トゥルーマン・ショー スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

トゥルーマン・ショー スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

 

他人から与えられた物語を脱して自分の物語を掴もうとする男の話。巨大なスタジオセットの街で生まれた瞬間から24時間世界に人生を生中継され続けていることも知らずに毎日を生きるトゥルーマン。やがて自分の日常の不自然さを疑い始めたトゥルーマンは真相と自由を探そうと動き出す。「自分の人生を掴みとろう」みたいな部分以上に「物語とは誰のためのものなのか」みたいなことを考える。ラスト、映画の外の僕と同じくトゥルーマンを見守る映画の中の視聴者を見ていると、なんとも言えない気分になる。そこにはいかにも自分がかわいい矛盾が潜んでいるわけだけども、矛盾だからという理由で既にそこにある感情を否定してしまうことは物語そのものを否定することとも直結してしまうわけで、これは正すべき矛盾ではなく調和の道を探さなくてはならない矛盾だと思うし、そこらへんは物語に触れるうえで物語るうえで傲慢になっても卑屈になってもいけない部分だと思う。最後に見たのもう随分昔になるのでそろそろ観たい。ラスト30分くらい泣く。

 

千と千尋の神隠し 

何が面白いのかよくわからないのにずっとめちゃめちゃ面白くて何が面白いのかわからんままに気付いたら最後になっていてなんかめっちゃ面白かったーという気分になる意味がわからない映画。僕に限った話でいえば他のジブリは何が面白いのか意味がわかるんだけど、こればっかりは何がどうなってこんなに面白いのか全然よくわからない。これ作ってる方も宮﨑駿以外は「これ面白いのか?」って思いながら作ってただろと勝手に決めつけている。それくらい何が面白いのかよくわからない。それなのに、出来上がりを観てたら面白すぎて一瞬で終わる。まじで意味がわからん。なのでジブリで一つ挙げるとなると俺は暫定的にこれ。もしかすると加齢に伴って『風立ちぬ』が取って代わる可能性はあるかなーと思っている。電車乗ってるところがなんかめっちゃ泣く。

 

 THE 有頂天ホテル

THE 有頂天ホテル スペシャル・エディション [DVD]

THE 有頂天ホテル スペシャル・エディション [DVD]

 

毎分毎秒ずっと面白い。面白くない時間がない。すごい。人はみんな悩み事をそれぞれに抱えながら生きているけれども、人生のすべてを、毎日の24時間をその悩み事のために使って生きていられるかというと全くそんなことはない。人と出会い、瞬間瞬間の自分の役割を生きて、自分の人生の悩み事と全然関係のない時間を生きるより仕方なかったりする。けれども結局、そうやって人と交わり続けることでしか自分の悩み事と向き合う瞬間というのはやってこなかったりするし、そうであって欲しいときっとみんな思ってるし信じてる。 人は身体ひとつで自分や他人に嘘をついたりつかなかったりして生きているけれど、身体も人生も一つで時間は等しく誰のもとでも24時間なので、嘘の部分も本当の部分もかっこいい部分も情けない部分もひっくるめてそれぞれ一人の人間なのだ。コメディでドタバタで人間を書いていると思えない人もいるんだろうことは知っているが、少なくとも人間への愛は十分すぎるほどに描かれている映画だと思う。佐藤浩市が『天国生まれ』を聴くシーンで必ず泣く。あとは体調によって他のシーンでもちょいちょい泣く。

 

モンスターズ・インク

人間の子供の悲鳴をエネルギーにするモンスター社会で、子供を驚かす仕事をしているさりーとまいいや、そんなあらすじとかいる?ってくらい有名なやつ。これは割と最近感想文書いた。基本泣く。


グッバイ、レーニン!

グッバイ、レーニン! [DVD]

グッバイ、レーニン! [DVD]

 

今度は息子がお母さんに嘘をつく映画。ベルリンの壁が壊れたことをお母さんに知られないために共産主義は終わってないと嘘をつき続ける息子。俺の中で「母」についての映画となると、真っ先にこれが浮かぶ。「母」というものに「時代についてこれないひと」「それでも絶対においていきたくないもの」みたいなイメージを俺は強く持っているのかもしれない。なんか、俺これ大学生の時に見たんだけど、大体ずっと泣いてた。バカバカしい優しさに弱いんだよ俺。嘘は人のためにつくのか自分のためにつくのかはっきり言えないやっぱりずるいもんだとは思うんだけど、もしこの世界に無償の愛なんてものがあるんだとしたら、きっとそれは無償の嘘という形をとっているんじゃないかなと思っている。でもよく考えたら、俺ここに挙げてる映画のなかでこれだけは一回こっきり観た限りだなぁ、他のは3~10回ずつは観てる。なので今度観る。当時より世界史的な部分への理解は進んでるのでまた違う面白さがある気はする。

 

誰も知らない

誰も知らない [DVD]

誰も知らない [DVD]

 

10個挙げたなかで唯一これだけ救いらしい救いがない。一本くらいそういうの入れとこっかなみたいなバランス意識が働いたことは間違いないけど、そこでチョイスするのがこれなんだ~と自分でもちょっと意外ではある。人と人との絶対的な距離みたいなものに泣く。電車のシーンで泣かなかったら100万円やるって言われても俺たぶん泣く。社会派映画として捉えたら、地域コミュニティのあり方とか無関心とかそういう話になるんかもしらんけど、そうじゃなくって、単純に、すべての人のすべてのことを知ることは誰にもできやしないし、けれどもそれとすべての人を愛おしく思うということ自体は矛盾しない。ということの残酷さに泣く。みんな死んで欲しくないと思ってる。けど、そのことは誰も死なない理由にはならないっていう当たり前の事実にうわ~ってなる。

 

というわけで、ちゃちゃっと書きました。みんなも好きな映画の好きな理由、気が向いたら教えてね。以上です。

 

おまけ

 親指シフト、ちいさい母音あんま使わないのでよく間違える。エレフェントマンて。

永田カビ『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』感想文

読みましたー。

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

 

あのー、それで今週のジャンプの『火ノ丸相撲』の話なんですけど、火ノ丸相撲!? お前、「永田カビ『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』感想文」ってタイトルでamazonリンクも貼って、なんで今週の火ノ丸相撲の話始めんの!? 馬鹿なの!? いやまー、両方裸が出てくる漫画だから。全然関係ないわ、馬鹿だろ、お前絶対馬鹿だろ! 馬鹿じゃないからほら両方とも裸が出てくる漫画で一つのコマに描かれる裸の数がだいたい二つ、で、その二つの裸がわりと密着してるってとこまで含めての話だからね。いやいやいや全然含めれてないから、何言ってんの?お前何言ってんの? わかったわかった言い過ぎた!言い過ぎたけど、それでも本当関係ある話だから!ちゃんと関係ある話だから、一瞬だけ!!一瞬だけ火ノ丸相撲の話させて!!今週号の火ノ丸相撲の話させて!!今週号の話なのでネタバレ注意です。いや、だからなんでこいつ、『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』感想文で『火ノ丸相撲』のネタバレ注意喚起してんの!? こいつ絶対馬鹿だろ、お前もそう思うよな、なぁ、犬!!

犬「わん!!!!」

はい、そういうわけでね、今週の『火ノ丸相撲』で、あ、これは名言ですわ、すわ名言ですわ、すわ~~~~~と思うセリフがあって、

諏訪「すわ~~~~~~~~~~~~~~」

え、何、今の? 今のおじさん誰? 今、窓の外からすわ~~~~って言ってきたおじさん誰? レッドブル片手にすわ~~~~って言ってたおじさん何? こわいこわいこわい、追って! 追って、犬!!

犬「わん!!!!」

えー、そういうわけで犬種はアフガン・ハウンドなんですけども、諏訪のおじさん絶体絶命のなか話を続けますけど今週の火ノ丸相撲に、こんなセリフがありまして、「あいつには壁なんてないんです。あるのは距離だけ・・・だから何も恐れず全力で駆け抜ける」なんてセリフがあったんですね。これすごい大事なことだなと思って。なりたい自分があったとして、それが今の自分ではどうにも届く気がしないとして、そこにあるのは壁なのか、距離なのか。隔てられているということと、遠くに見えるということには随分な違いがあります。壁は越えるか、壊すかするしかないけれど、それってやっぱり大変じゃないですか。そんなにえいやっと、なかなかできることじゃないですよ。でもそれを距離と思うことさえできれば、それは地平線の果てにうっすらと今はあんなにも小さくしか見えなかったとしても、今の自分とそれはきっと地続きなんだと思うことができれば、「何も恐れず全力で駆け抜ける」なんてことは難しいかもしれないけど、一歩ずつ、一歩ずつ、進んでいくことができるんじゃないか。はじめの一歩を踏み出すことができるんじゃないだろうか。永田カビさんの『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』は、そんな、自分のなかにある壁を丁寧に丁寧にほぐしてやって、壁を距離に変換してやる物語、そうしてはじめの一歩を踏み出して、一歩ずつ、一歩ずつ進んでいこうとする、そんな物語に僕には見えたのです。

特に前半なんか読んでる最中はやっぱり結構疲れちゃいましたよね。全部ボタン壊れてるたまごっちをやらされてるような感覚。腹を空かせてるわウンチは溜まってくわでたまごっちどんどん弱ってくけど、ボタンが壊れてるから俺にはおにぎりをあげることもウンチを流してやることもできない。いわゆる共感みたいな感覚でこの漫画を読む人もいっぱいいるんだろうなと思うけど、僕にはそれができなかった。そのままの意味で(否定したい意味ではなく)僕には共感できないのだ。簡単に「わかるよその気持ち」なんて言ってしまってはそれは間違いなく嘘になるし失礼だとも思う。自分だってそれなりに悩んだり生きにくいなぁと思うことはあるつもりだけど、たぶん向こうからしたら僕なんて「ええかげんそうな俺でもしょーもない裏切りとかは嫌いねん」の人と大して変わらないように見えているのかもしれないっておいいいいい!!!自虐するなら自分一人で自虐しろよ、なんで三木道三もあんまり悩みとかないだろみたいな感じで巻き込んでるんだよ、僕はそんな人間なもんですから読んでる間中、嗚呼おにぎり食わせたいウンチ流してやりたいとハラハラしっぱなしだったし、自分は勝手におにぎり食ってウンチもない部屋にいて呑気にライフタイムリスペクトしているのがなんだか申し訳なくなってくるやらで、そういう種類の痛みに似たようなものは感じたのだけども、それも彼らの感じている痛みとは遠い遠い全然別物の痛みで、その距離がまた僕をなんだか申し訳ない気持ちにさせるし、申し訳なく思っときゃいいだろと思って申し訳なく思っといてるんだろと僕のなかのありのまんま俺のこと見てくれやが囁きかけてくるのです。

そうして作者さんはボロボロになりながらも、自分の身体が、心が、今どういう状態にあるのかを考えて向き合い続ける。ここらへんは普通に、なんつーかこの人、漫画超うめえの。絵もうめえけど、それ以上に、漫画がうめえ。あの松井優征の漫画でさ、今起きている状況とかシチュエーションをセリフで説明しているようなコマで比喩的なイメージ映像を描いてる時とかあるじゃないですか、全ページがだいたいあんな感じ。だから彼女の心象風景がダイレクトに伝わってきて読んでる方としては余計きつかったりするんですけど、そういうふうに言語化してイメージ化して図式化してデフォルメしてっていうのがどうやら彼女のやり方で、最強の武器で、それはまさに現実で私を取り囲む何かという壁を、自分が欲しいものとの距離に変換する作業なのだろうなと思う。そうなのだ、彼女は欲しかった。ちゃんと欲しがろう、ってのが彼女が七転八倒の末に辿り着いたひとつの答えで、それを手に入れるための手段のひとつ、はじめの一歩が、タイトルにあるレズ風俗だったりしたわけだ。自分の性への興味を自覚するシーンは、『SLAM DUNK』の「安西先生、バスケがしたいです」に似た感動があった。自分を徒にいじめるんじゃなしに、捨て鉢になるんじゃなしに、イライラするんじゃなしに、自分は何がしたいのかと向き合ってそれをはっきりと口にする。それってけっこう難しい。そこからまぁなんか色々あって当日に向かうわけだけど、人に会ってそのうえ裸でいちゃつくってことなんでお風呂に入ったり身だしなみを整えたりを心がけるようになる下りがあるんだけど、そこで自分をきれいに保つことイコール自分を大切にすることみたいな言葉があって、俺は、そこで、嗚呼たまごっちのボタンは壊れてるんじゃなくて、彼女のたまごっちのボタンを持っているのは彼女自身だったんだ、と気付いて、恥ずかしくなった。

そんなこんなで風俗行ってその後日譚があって、本書はおしまいとなるわけだけど、もちろんそれは本書がおしまいなだけでこれで一切合切がうまくいってめでたしめでたしと片付けられるような話でもない。この本で描かれているのはあくまで彼女がはじめの一歩を踏み出すまでの物語で、彼女の物語は彼女自身によってこれからもずっと続いていく。『はじめの一歩』でいうとたぶん一歩がプロテストに合格したところくらいで、一歩がデンプシーロールを習得したり板垣が東日本新人王に輝いたりするのはまだ随分先の話。あと板垣編の時ってどういう気持ちで読めばいいのか未だによくわからない。それでも、彼女の眼前にあるのは立ち塞がる壁ではなく、それは決して平坦なものではないのかもしれないけれど、彼女の眼前に広がるのはたしかに道であり、立ち止まることもあるだろうけど、膝をつくときもあるのだろうけど、それは足をひとつだけ前に投げ出せば投げ出した分だけ前へ進める、自分の行きたいどこかへと続く道であり、その事実は控えめに言って希望と呼べるような代物なのだろう。

欲求は人によってそれぞれで、それがその人の心からの望みなら、どんな形をしていてもいいと思う(人にどうしても迷惑をかけてしまう形の欲求の話は今は置いておく)。そのうえで僕個人の話をするなら、やっぱり僕も一人は寂しいと思った。誰かとつながってぬくもりを感じたいなと思った。けど、それってやっぱり簡単なことではなかったりもするのだ。ある意味で、それは壁を壊してハイ終わりなんて話よりよっぽど大変な話なのかもしれない。つながりたいあなたは薄皮一枚の向こうにはいない。僕にとっての貴方は遥か遥かの彼方にいる。そこには絶望的な距離がある。それでも、その距離はきっと地続きで、その事実は確かな希望だ。だから僕だって誰だってあなただって歩いていくよりしかたない。自分を大事にして、毎日を大事にして、あなたに出会うその日がくることを信じて日々の生活を歩いていくしかないのだろう。でもあれ、ちょっと待って、それってまさにライフタイムリスペクトってことじゃない?あれ?じゃあやっぱ三木道三じゃん!このことを既に歌にしていた三木道三すごっ!!三木道三すっごっっ!!!!アフガン・ハウンド脚速っ!!!諏訪のおじさん、もっと速っっっっっ!!!!もうあんなに小さい!!!!もうあんなに小さい!!!!アフガン・ハウンドと諏訪のおじさん脚速っっやぁぁぁぁ!!!!翔んだああああ!!!諏訪のおじさん翔んだあああああああ!!!!もう見えなくなった!!!翼を授けるレッドブルすっごっっっっ!!!!!困惑して立ち止まり右往左往するアフガン・ハウンドかわいっっっっっ!!!!!三木道三すっごっっっっ!!!!! 『さみしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』もすっごっっっっ!!!!!この世の中すごいもの多っっっっ!!!ライフタイムリスペクトっっっっっっっ!!!!!! 以上です。